記事 での「小田原北条氏の城郭」の検索結果 268件
三崎城(神奈川県三浦市)
←青少年会館東側の土塁
三崎城は、小田原北条氏配下の三浦水軍の拠点である。元々は相模の豪族三浦氏が、累代の居城新井城の背後を守る重要な支城として戦国時代に築いたと考えられる。ここを拠点として三浦水..
タグ: 小田原北条氏の城郭 相模三浦氏の城郭 中世平山城
大庭城(神奈川県藤沢市)
←横矢の掛かる竪堀、
その左右は腰曲輪
大庭城は、玉縄城築城以前の相模東方の拠点城郭である。そもそもの創築は、平安時代末期の大庭三郎景親に遡る..
タグ: 中世崖端城 小田原北条氏の城郭
笹山砦(神奈川県横浜市港南区)
←砦のあった小丘の現況
笹山砦は、1590年の小田原戦役の時、小田原北条氏玉縄衆の本城玉縄城の支砦であったと言われている。しかしそれ以外の資料はなく、北条氏所領役帳によってこの地が宅間伊織綱頼の知..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世平山城
永田陣屋(神奈川県横浜市南区)
←宝林寺裏山の現況
永田陣屋は、戦国時代、小田原北条氏の陣屋が置かれたと伝えられている。この地は北条氏家臣宅間氏の支配地で、北条氏所領役帳に記載される代官肥田中務丞とも考えられていると言う。また一..
タグ: 居館 小田原北条氏の城郭
今井砦(神奈川県横浜市保土ヶ谷区)
←堀切跡
今井砦は、伝承に拠れば木曽義仲の家臣で義仲四天王の一人として知られる今井四郎兼平(巴御前の兄弟)の築いた城と言われるが、確証はない。おそらく今井の地名から兼平に仮託したものだろう。戦国時..
タグ: 中世平山城 小田原北条氏の城郭
下古城(静岡県小山町)
←子之神社周囲の土塁らしき跡
下古城は、小田原北条氏の家臣黒石玄蕃頭の居城と言われている。その歴史は不明であるが、1590年に北条氏が滅亡すると廃城になったと思われる。
下古城は、鮎沢川の支流..
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鐘ヶ塚砦(神奈川県山北町)
←腰曲輪状の平場
鐘ヶ塚砦は、小田原北条氏が合図の鐘を置いた場所と伝えられている。標高431mの小丘で、河村城と河村新城の中間に位置している。その名前も、「鐘撞山」「鐘撞丸」等と同じく、視界が悪い..
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仙洞寺山烽火台(神奈川県相模原市)
←仙洞寺山の山頂部の現況
標高583mの仙洞寺山には、小田原北条氏の烽火台があったと言われている。この山の最高峰は火海峠と呼ばれ、北条氏津久井衆の本拠津久井城と伏馬田城の中間に位置し、中継地点とし..
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大豆戸城(神奈川県横浜市港北区)
←大豆戸城のあった高台
大豆戸城は、小幡泰久館とも言い、天文年間(1532~55年)の頃、小幡伊賀守泰久、及びその子勘解由左衛門政勝の2代にわたる居城と伝えられている。泰久は、駿河今川家家臣小畑久..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世崖端城
寺尾城(神奈川県川崎市)
←見事な空堀跡
神奈川には横浜市内にも寺尾城があるが、この寺尾城は川崎市内のものである。寺尾城は、寺尾台と呼ばれる多摩丘陵が北に突き出した台地の先端に築かれた城である。「新編武蔵国風土記稿」では寺..
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佐江戸城(神奈川県横浜市都筑区)
←腰曲輪らしき跡
佐江戸城は、小机城の支城と推測される歴史不詳の城である。北方の川和城より延びる、鶴見川北岸の比高30m程の台地の先端に築かれている。「新編武蔵国風土記稿」によれば、小田原北条氏の..
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井田城(神奈川県川崎市)
←神庭緑地に残る土塁
井田城は、小田原北条氏の家臣中田加賀守が築いたと伝えられる城である。しかしその歴史は不明である。また中田加賀守については、矢上城の項で記載する。
井田城は、中田加賀守の館..
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