記事 での「小田原北条氏の城郭」の検索結果 268件
矢上城(神奈川県横浜市港北区)
←堀切跡とされる通路
矢上城は、日本城郭大系では中田加賀守館と記載され、小田原北条氏の家臣で小机衆に属する中田加賀守の居城と伝えられている。中田加賀守は大身だったらしく、井田城など幾つかの城を有し..
タグ: 中世崖端城 小田原北条氏の城郭
寺尾城(神奈川県横浜市鶴見区)
←殿山公園に残る竪堀と土塁
神奈川には川崎市内にも寺尾城があるが、この寺尾城は横浜市内のものである。寺尾城は、小田原北条氏の家臣諏訪氏の居城である。諏訪氏は、信濃の豪族諏訪氏の庶流で、1435年に..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世平山城
篠原城(神奈川県横浜市港北区)
←発掘された腰曲輪と堀切
篠原城は、金子城とも金子出雲守の塁とも呼ばれ、小机城の支城である。小机城の東方2.6kmの位置にあり、比高20m程の小丘に築かれていた。金子出雲守は小田原北条氏の家臣で、..
タグ: 中世平山城 小田原北条氏の城郭
細野城(神奈川県愛川町)
←主郭北東側の堀切
細野城は、田代城と共に小田原北条氏の家臣内藤氏の築いた城である。中津川西岸の河岸段丘上に、田代城と相対する形で築かれており、2つの城によって中津川の水運を押さえていたものと考え..
タグ: 中世崖端城 小田原北条氏の城郭
田代城(神奈川県愛川町)
←土塁らしき跡
田代城は、三増峠古戦場の近くにある城である。小田原北条氏の家臣であった内藤氏が弘治年間(1555~58年)頃に築いた城で、内藤下野守秀勝、その子三郎兵衛秀行の2代の居城であった。田..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世崖端城
下鶴間城山(神奈川県大和市)
←城山のわずかな起伏
下鶴間城山は、上和田城山・深見城と同じく、境川西岸の段丘上に築かれた城である。「新編相模国風土記稿」に拠れば、小田原北条氏の家臣山中修理助貞信(或いは貞住)が天正年間(157..
タグ: 中世崖端城 小田原北条氏の城郭
伏馬田城(神奈川県相模原市)
←北尾根の堀切と腰曲輪
伏馬田城は、伏馬田城山烽火台とも呼ばれ、小田原北条氏麾下の津久井衆の一人、尾崎掃部助が守っていた山城である。烽火台とされている通り、標高530mの城山山頂に築かれた小さな城..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世山城
奥牧野城(神奈川県相模原市)
←主郭の虎口土塁
奥牧野城は、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いた境目の城である。相模国の最西端に位置し、S字状に蛇行する秋山川に三方を囲まれた城山と呼ばれる要害の地に築かれている。奥牧野には相..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世崖端城
嵐山烽火台(神奈川県相模原市)
←二ノ郭から見た主郭
嵐山烽火台は、間山城峰烽火台と同じく、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いた烽火台の一つである。この相模湖周辺はかつての甲相国境であり、北条氏と武田氏が各々警衛の烽火台を幾重..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世山城
間山城峰烽火台(神奈川県相模原市)
←間山の現況
間山(あいのやま)城峰烽火台は、小田原北条氏が甲斐武田氏に備えて築いた烽火台の一つである。この相模湖周辺はかつての甲相国境であり、北条氏と武田氏が各々警衛の烽火台を幾重にも築いた、厳..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世山城
上の山城(神奈川県相模原市)
←南曲輪から見た主郭
上の山城は、史料上には現れてこない城である。しかし「北条氏所領役帳」には、この地域に「二貫三百廿七文 野呂左京亮屋敷」とあり、現在でも上の山の東麓に野呂氏の宅地があり、元屋敷..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世平山城
又野城(神奈川県相模原市)
←主郭と腰曲輪?
又野城は、歴史不詳の山城である。又野と三ヶ木(みかげ)との境の標高245mの「城山」と呼ばれる小丘にある。城山の東側はなだらかな斜面が広がるが、西側は相模川と道志川で形成された河..
タグ: 中世山城 小田原北条氏の城郭