記事 での「南北朝期の城郭」の検索結果 98件
石下城(栃木県市貝町)
←西側上段の横堀
石下城は、関東の南北朝史に名を刻む城である。一説には、康平年間(1058~64年)に石下七郎右衛門によって築かれたと言われている。この城が明確に姿を現すのは、南北朝の抗争の中であ..
タグ: 下野宇都宮氏の城郭 中世山城 南北朝期の城郭
小田城 その2(茨城県つくば市)
←前山城から見た現在の小田城
(写真クリックで拡大)
私が小田城を最初に訪れてから、ちょうど10年になる。この間、つくば市によって毎年毎年、継続的に発掘調査が続けられ(10年前の訪城時もあちこち..
タグ: 中世平城 常陸小田氏の城郭 南北朝期の城郭
宝篋城(茨城県つくば市)
←南斜面の大堀切
宝篋城は、南北朝時代に鎌倉府執事として関東に下向し、常陸南朝方を征討した高師冬が、小田城攻めの際に本陣を置いた城である。1338年、関東の南朝勢力再建の為に下向した南朝の重臣北畠..
タグ: 陣城 南北朝期の城郭
沢田館(宮城県大崎市)
←堀跡っぽい水路
沢田館は、南北朝時代に生起した観応の擾乱の際に、畠山氏が拠った要害である。足利幕府は、1346年に奥州管領として吉良貞家・畠山国氏の2人を派遣したが、足利尊氏・直義兄弟が争う「観..
タグ: 居館 南北朝期の城郭
高舘城(宮城県名取市)
←主郭と西之丸の間の堀切
高舘城は、伊達氏の拠点城郭であったと推測される。伝承では、1175年に奥州藤原氏3代秀衡が館を築き、1189年の源頼朝による奥州合戦の際、藤原勢がこの城に立て籠もって鎌倉..
タグ: 奥州伊達氏の城郭 中世山城 南北朝期の城郭
木尾嶽城(石川県志賀町)
←二ノ郭から見た主郭切岸
木尾嶽城は、南北朝動乱期の激戦地である。1346年の得江頼員軍忠状によれば、前越中守護井上俊清・同八条・新田貞員・栗沢政景・富来俊行らが能登に侵入し、富来院内の木尾嶽に立..
タグ: 南北朝期の城郭 中世山城
大原木楯(宮城県栗原市)
←主郭東側の横堀
(2019年11月訪城)
大原木楯(大原木館)は、鈴木館とも言い、この地の土豪鈴木氏の居城である。元は源義経の重臣鈴木三郎重家の館であったとされ、鈴木氏はその後裔を称していた様..
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津久毛橋城(宮城県栗原市)
←主郭
(2019年11月訪城)
津久毛橋城は、南北朝時代に南朝の将北畠顕信が立て籠もった城である。古くは平安末期に、大軍を率いて奥州藤原氏を討伐した源頼朝が、松山道を経てこの地、津久毛橋に至っ..
タグ: 中世平山城 南北朝期の城郭
八幡楯(宮城県栗原市)
←主郭北側外周の横堀
八幡(やわた)楯(八幡館)は、屯岡(営岡)陣営地とも言い、前九年の役の際に源頼義・義家父子が陣営を置いた場所と伝えられている。古くは延暦年間(782~806年)に坂上田村麻呂..
タグ: 中世山城 南北朝期の城郭
井口城(富山県南砺市)
←城址碑の立つ主郭跡の墓地
井口城は、14世紀初め頃、この地の豪族井口蔵人の居城である。井口氏は、『源平盛衰記』によれば鎮守府将軍藤原利仁の3男を祖とする一族と言われる。井口氏の名は、南北朝動乱の..
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野尻城(富山県南砺市)
←城跡の徳仁寺
野尻城は、この地の土豪野尻氏の居城である。野尻氏の名は1183年の倶利伽羅合戦に初めて記録に顕れ、以後南北朝時代まで度々登場している。南北朝時代には反幕府勢力となった元越中守護桃井..
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二塚城(富山県高岡市)
←城址碑
二塚城は、鎌倉末期に執権北条氏の一族、名越氏が築いた城である。1333年5月、越中守護名越遠江守時有・舎弟修理亮有公(ありとも)・甥の兵庫助貞持らは、出羽・越後の宮方が北陸道を経て京都に..
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