記事 での「中世崖端城」の検索結果 334件
横山城(長野県長野市)
←主郭の切岸
横山城は、信濃善光寺と一体となって存続した城で、川中島を権威的に扼する要地である。築城時期は定かではないが、南北朝時代には本格的な城郭として機能していた様で、1352年には信濃の南朝..
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滝の城発掘調査説明会
←三ノ郭の謎の大穴
こちらは以前の大穴部の状況→ (前回訪城時の2009年当時)
昨日(2/2)、滝の城の発掘調査説明会が開催された。滝の城といえば、小田原北条氏の滝山衆の頭領にして、下野・..
タグ: 発掘説明会 小田原北条氏の城郭 中世崖端城
鐙塚阿曽沼城(栃木県佐野市)
←城址付近の窪地地形
鐙塚阿曽沼城は、佐野氏の支城である。1471年に、佐野氏の庶流で阿曽沼城主阿曽沼四郎広綱の子孫阿曽沼弾正が築城した。阿曽沼氏は古河公方足利氏に仕えていたが、1546年の河越夜..
タグ: 中世崖端城 下野佐野氏の城郭
高取三階城(栃木県栃木市)
←西側外縁部の堀状地形
高取三階城は、1490年に唐沢山城主佐野越前守秀綱が築いた城である。1546年まで存続したとされる。時代的には山内・扇谷両上杉氏の抗争、長享の乱の頃から、古河公方家の内部分..
タグ: 中世崖端城 下野佐野氏の城郭
二宮城(東京都あきる野市)
←かつて城址碑のあった付近
二宮城は、武蔵七党の一つ西党に属する二宮氏の居館である。その事績は明瞭ではないが、「吾妻鏡」の中に二宮弥次郎時光らの名前が確認される。また、室町時代後期になると、関東管..
タグ: 中世崖端城 武蔵七党
黒石城(青森県黒石市)
←空堀状の地形
黒石城は、当地の地頭代であった工藤氏が築いた城と考えられている。鎌倉末期に工藤右衛門尉貞行は津軽田舎郡の地頭代を務め、元弘・建武年間(1331~38年)の頃に黒石城を築いたらしい。..
タグ: 中世崖端城 奥州津軽氏の城郭
浅瀬石城(青森県黒石市)
←本丸北西角の櫓台
浅瀬石城は、一戸南部氏の庶流千徳氏の居城である。1240年に南部光行の長男彦太郎行朝の子千徳伊予守行重が浅瀬石城を築いたとされる。文明年間(1469~86年)には、7代政久は三..
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浪岡城(青森県青森市)
←横矢の掛かった塁線
浪岡城は、浪岡御所とも呼ばれ、南北朝時代に後醍醐天皇の命で奥州に下向した北畠親房・顕家父子の裔とされる浪岡北畠氏の居城である。しかしその系譜には諸説あり、明確にはできない。一..
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七戸城(青森県七戸町)
←角館の堀跡
七戸城は、奥州の名族南部氏の庶流七戸氏の居城である。その創築は明確ではないが、鎌倉時代末期には執権北条氏の被官工藤氏の城であったとも言われている。鎌倉幕府滅亡後の1335年、根城南部..
タグ: 奥州南部氏の城郭 中世崖端城
根城(青森県八戸市)
←本丸周囲の空堀
根城は、奥州の名族南部氏の庶流根城南部氏の歴代の居城である。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、動乱冷めやらぬ奥州を押さえる為、北畠顕家を陸奥国司・鎮守府大将軍に任じて、幼い義良親王..
タグ: 中世崖端城 奥州南部氏の城郭
一戸城(岩手県一戸町)
←北館の腰曲輪と虎口
一戸城は、奥州の名族南部氏の庶流一戸氏の居城である。一戸南部氏は、鎌倉時代初期に糠部郡に入部した聖寿寺館主南部光行の庶長子行朝を祖とし、その子摂津守義実が一戸に進出して一戸城..
タグ: 中世崖端城 奥州南部氏の城郭
平良ヶ崎城(青森県南部町)
←空堀跡
平良ヶ崎城は、南部藩祖南部三郎光行が糠部経営の拠点として1192年に築いた城である。光行の糠部郡入部の経緯は、聖寿寺館の項に記載する。この地は街道の分岐点を押さえる要地で、高山峠に続く尾..
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