記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
古今もいまだあらず
(8)古今もいまだあらず
親鸞の自釈のあと、禅宗の智覚と律宗の元照(がんじょう)の文が引かれます。
禅宗の智覚(北宋の禅僧)、念仏の行者を讃めていはく、「希なるかな、仏力難思なれば、古今も..
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「ほとけのいのち」に帰る
(7)「ほとけのいのち」に帰る
「わたしのいのち」は「わたしのいのち」のままで、すでに「ほとけのいのち」であるということは、「ほとけのいのち」がいま「わたしのいのち」を生きているということに他な..
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臨終一念の夕
(6)臨終一念の夕
ここまでのまとめのことば(親鸞の自釈)です。
まことに知んぬ、弥勒大士は等覚(菩薩の52階梯の中の第51位。仏の妙覚の一つ手前。等正覚、一生補処とも)の金剛心を窮(きわ..
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因果とは
(5)因果とは
「Aが因でBが果である」ということばは二通りに解釈できます。一つは「Aがあれば、その後かならずBがある」ということで、これが普通の解釈です。そしてこの解釈では「AはBの条件」と言..
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普授ということ
(4)普授ということ
用欽の文は『阿弥陀経』を注釈しているものですが、その『阿弥陀経』にはこうあります、「衆生聞かんもの(浄土と阿弥陀仏と聖者のことを聞くもの)、まさに発願してかの国に生ぜんと願..
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次いで弥勒のごとし
(3)次いで弥勒のごとし
『龍舒浄土門』の所説を確かめるために、次に『大経』と『如来会』の文、さらに用欽の文が引かれます。
『大経』にのたまはく、「仏、弥勒につげたまはく、〈この世界より六..
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滅度に至る
(2)滅度に至る
あけましておめでとうございます。
昨年は「宗教の枷」についていろいろ考えさせられました。人々の孤独と不安につけこんで心に枷にはめてしまう宗教。思えば高校生のときに、あの宗教と..
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一念往生、便ち弥勒に同じ
第7回 臨終一念の夕
(1) 一念往生、便ち弥勒に同じ
さらに真仏弟子釈がつづきます。次は王日休の『龍舒(りゅうじょ)浄土文』からです。
王日休(南宋の時代の居士。生まれた土地から龍舒..
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救いは「いま」しかない
(12)救いは「いま」しかない
釈迦はマールンクヤにこう言うのです、「そのものが周囲の人たちにこう命じたとしよう、この矢を射たものの氏素性が分かるまでは矢を抜くではないと。汝はそれをどう思うか。..
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現当二益
(11)現当二益
この文では「今生に」と「命を捨ててのち」とが対比され、現在において観音・勢至に護られ、未来に浄土へ往生すると言われます。浄土真宗では今生の利益を「現益」、来生の利益を「当益」と..
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人中の妙好人なり
(10)人中の妙好人なり
次は『観経疏』「散善義」からです。
またいはく「〈若念仏者〉より下〈生諸仏家〉に至るまでこのかたは、まさしく念仏三昧の功能(くのう)超絶して、まことに雑善(ぞうぜ..
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わたしのいのち
(9)わたしのいのち
われらはみな「わたしのいのち」を生きています。これは「わたしのいのち」であり、その主人は「わたし」であると思っています。このいのちが「自分のもの」であるのは当たり前だと思っ..
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