記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
阿闍世に仏性はあるか?
(5)阿闍世に仏性はあるか?
釈迦は迦葉に「わたしは涅槃に入るところであったが、阿闍世のために涅槃に入ることはない」と語り、そのことばの意味を明かしていきます。しかし経に「如来の密語不可思議なり..
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阿闍世王の為に涅槃に入らず
(4)阿闍世王の為に涅槃に入らず
阿闍世を廻るドラマの第二幕に移ります。阿闍世が救いを求めて自分のところに来るのを知った釈迦が弟子の迦葉(かしょう)に語ることばです。
またのたまはく、「〈..
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慚は人に羞づ、愧は天に羞づ
(3)慚は人に羞づ、愧は天に羞づ
「慚はうちにみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ」ということばが印象的です。あらためて「あんなことをしたから、こんなひどい結果にな..
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慙愧
(2)慚愧
耆婆のことばが終わった後、不思議な声が聞こえてきます。
〈大王、一逆を作れば、すなはちつぶさにかのくごときの一罪を受く。もし二逆罪を造らば、すなはち二倍ならん。五逆つぶさならば..
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耆婆(ぎば)という大医
第9回 なんぢ独りいかんぞ罪を得んや
(1)耆婆(ぎば)という大医
六人の大臣の後に耆婆という医者が登場します。
その時に、大医あり、名づけて耆婆(ぎば、阿闍世の異母兄)といふ。王の所に..
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要素説
(15)要素説
吉徳という大臣の言っていることは全体としてよく分からないと言わざるをえませんが、「もし有我ならば実にまた害なし。もし無我ならばまた害するところなけん」というところはよく理解できま..
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パクダ・カッチャーヤナと二ガンタ・ナ―タプッタ
(14)パクダ・カッチャーヤナとニガンタ・ナータプッタ
五人目と六人目の大臣です。
また大臣あり、名づけて吉徳といふ。乃至 〈地獄といふは、なんの義ありとかせん。臣まさにこれを説くべし。地..
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唯物論
(13)唯物論
アジタは唯物論で知られています。世界は地・水・火・風の四大とそれらが存在する場としての虚空とからなり、それらの要素が常に離合集散しているとし、人間もまたその四つの要素の集合体に他..
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アジタ・ケーサカンパリン
(12)アジタ・ケーサカンパリン
四人目の大臣の登場です。
またひとりの臣あり、悉知義(しっちぎ)と名づく。すなはち王の所に至りて、かくのごときの言をなさく。乃至 王すなはち答へていはまく..
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懐疑論
(11)懐疑論
実徳の説の方が運命論の本質をより鮮やかに見せてくれます。阿闍世が父を殺したのは、父・頻婆娑羅自身にそのような宿命があったからだという論法は、どこかで読んだ次の話を思い出させます。..
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サンジャヤ・ペーラティプッタ
(10)サンジャヤ・ペーラッティプッタ
三人目の大臣です。
またひとりの臣あり、なづけて実徳(じっとく)といふ。また王の所に到りて、すなはち偈を説きていはく、〈大王、なんがゆゑぞ身に瓔珞(..
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運命と宿業
(9)運命と宿業
阿闍世は蔵徳の慰問に、先の月称の時と同じく「かくのごときの果報、阿鼻獄にあり」と怖れ苦しんでいると答えますが、蔵徳は迦羅羅虫(かららちゅう)や騾馬(らま)を例に出して、父を害し..
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