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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830
われ生きんかなと思う
コギト ] 05:48 03/20
(3)われ生きんかなと思う 「われ思う、ゆえにわれあり」とは、「われ思う」からこそ「われあり」と言えるということで、確かに「何かを思う」ことがある限り、そこに「われあり」が伴っていることを否定す..
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「生きる」とは
コギト ] 06:17 03/19
(2)「生きる」とは さて、趣旨文のなかで「生まれた意味」と「生きる意味」がひとつのものとして並べられますが、この二つは異なるのではないかという疑問が出るかもしれません。「生まれる」のは、もう否..
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はじめに
コギト ] 06:20 03/18
第1回 生きる意味ふたたび (1)はじめに もう10年以上も前になりますが、「生きる意味」についてまとまった文章を書いたことがあります。いままた同じ題目で再び考えてみようと思い立ったのは、今年..
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わがこころのよくてころさぬにはあらず
コギト ] 05:45 03/17
(13)わがこころのよくてころさぬにはあらず これまでの流れをふり返っておきますと、善導は第十八願に「ただ五逆と誹謗正法を除く」と書かれているのは、それらの罪の重きを示して抑止するためだと述べま..
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五逆とは
コギト ] 05:42 03/16
(12)五逆とは 最後に五逆とは何かについて、永観(平安期の三論宗の僧)の『往生十因』から引かれます。 五逆といふは、「もし淄洲(ししゅう、中国法相宗の第二粗・慧(え)沼(しょう)のこと)によ..
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薬あり毒を好め
コギト ] 05:43 03/15
(11)薬あり毒を好め たとえば『末燈鈔』第20通にこうあります、「煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころの..
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回心すればみな往く
コギト ] 06:35 03/14
(10)回心すればみな往く 先の文は善導の『観経疏』からでしたが、今度は同じく善導の『法事讃』からです。 またいはく、「永く譏嫌(きげん、譏は誹ることで、譏嫌で誹り嫌うこと)を絶ち、等しく..
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抑止ということ
コギト ] 05:53 03/13
(9)抑止ということ 善導の解法は明快です。第十八願に「ただ五逆と誹謗正法を除く」とあるのは、それらの罪の重きを示して抑止するためであるというのです。文字通りに五逆と謗法を摂取から除外するという..
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善導の答え
コギト ] 05:51 03/12
(8)善導の答え 次は善導です。善導は曇鸞と同じ問題について別の解法を示します。 光明寺の和尚いはく、「問うていはく、四十八願のなかのごときは、ただ五逆と誹謗正法とを除きて、往生を得しめず..
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(7)蟪蛄春秋を識らず
コギト ] 05:49 03/11
(7)蟪蛄春秋を識らず では十念とは何か。念仏とは「その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念」するとき、すなわち「ほとけのいのち」(本願)に遇うことができたそのとき、その喜びが口からほとばしり..
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十念といふは
コギト ] 05:58 03/10
(6)十念といふは さらに問答はつづきます。今度は「十念」についてです。 問うていはく、いくばくの時をか名づけて一念とするやと。 答へていはく、百一の生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名..
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千歳の闇室に、光もししばらく至れば
コギト ] 05:50 03/09
(5)千歳の闇室に、光もししばらく至れば 五逆・十悪などという悪業を造ってきたものが、どうして名号を十念するだけで救われるのか、業の道理から言えば、地獄に堕ちるのが当然ではないか、という問いに対..
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