記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
発信と受信
(3)発信と受信
「おかえり」が先で「ただいま」が後ということに関連して、J.デリダの「アロー」が思い出されます。彼はわれらが「アロー(英語のハローです)」と誰かに電話するのは、それに先立ってそ..
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帰っておいで
(2)帰っておいで
「おかえり」は家に帰ってきたときの挨拶「ただいま」に対する応答です。「ただいま帰りました」という挨拶に「お帰りなさい」と返答しているのですが、関西では、それとは別に、出かける..
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はじめに
第2回 帰るということ
(1)はじめに
どこかで浄土の教えにもっともなじみのある文字は「帰」ではないかと述べました。その他に「願」とか「聞」とかいろいろあると思いますが、やはりこの「帰」という..
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結論
(24)結論
以上、「生きる意味」についていろいろ考えてきましたが、ここでその結論をまとめておきましょう。
われらは「わたしのいのち」を「わたしの力」で生きていると思っていますから、「わたしの..
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天命に安んじて人事を尽くす
(23)天命に安んじて人事を尽くす
思いがけなく美しいものに出あえたとき、たとえば雨上がりの空に大きな虹がでているのに気づいたとき、もうだれかれ構わず「ほら、虹ですよ」と言って回るようなものです..
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還相とは
(22)還相とは
このように言いますと、「還相」とは布教のことかと思われるかもしれません。すでに救われた人がまだ救われていない人を救うはたらきをするというのですから。そこであらためて「人を救う」..
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四海のうちみな兄弟
(21)四海のうちみな兄弟
宗教の救いは「上がり」であるかのように思われている嫌いがあります、救いが与えられることで「すべてよし」であるかのように。しかし実は救いが与えられたところからすべてが新..
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民衆の阿片
(20)民衆の阿片
若きマルクスはこう言います、「宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」と(『ヘーゲル法哲..
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負けてたまるか
(19)負けてたまるか
では、「わたしのいのち」は「ほとけのいのち」という無限のつながりのなかにあって、それに生かされていることに目覚めたらどうでしょう。「わたしのいのち」の存立根拠は「ほとけの..
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「わたしのいのち」の根拠
(18)「わたしのいのち」の根拠
われら煩悩具足の凡夫は「わたしのいのち」について不満、不足を覚え、「どうしてわたしが」と愚痴を言いますが、ここにわれらの苦しみの源泉があると言ってもいいのではな..
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どうしてわたしが
(17)どうしてわたしが
ところで、われらは「わたしのいのち」についていろいろ不満をこぼします、「もう少し顔がよかったら」とか「もう少し頭がよかったら」とか。まあ、この程度のことでしたら「しよう..
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かけがえのないいのち
(16)かけがえのないいのち
頭に浮ぶのが少年時代の忘れがたい思い出です。ぼんやり外を眺めていますと、前の道を一匹の野良犬がトボトボ歩いてきます(当時は野良犬がたくさんいました)。その犬を見ると..
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