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記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830
たまたまつながっている
コギト ] 05:44 06/14
(3)たまたまつながっている それに対して「煩悩があることに縁り苦がある」という「縁起」の関係には前後がありません。煩悩が先で、苦が後ということではなく、煩悩のあるところ、そこに苦がある、という..
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これあるに縁りてかれあり
コギト ] 05:57 06/13
(2)これあるに縁りてかれあり もう一つ「縁起」ということばを取り上げておきましょう。「プラティーヤ・サムトゥパーダ(prati(―)tya-samutpa(―)da)」という梵語を訳したもので..
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はじめに(9)
コギト ] 05:55 06/12
第9回 縁ということ (1)はじめに われらが日々つかっていることばに仏教由来のものが数多くあることはよく知られています。前に「ありがとう」は「ありがたし(あることかたし)」であることについて..
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信じれば救われる
コギト ] 05:43 06/11
(10)信じれば救われる キリスト教なら「イエス=キリストを信じなさい、それすれば救われるのですよ」と言われ、浄土教なら「弥陀の本願を信じなさい、そのことで救われますよ」と言われます。ぼくのよう..
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浄土は心の大地
コギト ] 05:37 06/10
(9)浄土は心の大地 信心とは「わたしのいのち」が「わたしのいのち」のままで「ほとけのいのち」に摂取不捨されることですが、そのときに目の前に開ける大地が浄土です。すなわち浄土とは、本願の摂取不捨..
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信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す
コギト ] 05:30 06/09
(8)信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す このように往生観が180度転換されることにより、浄土のとらえ方もおのずから180度ひっくり返ります。伝統的に浄土はこの娑婆とは別のどこか(「ここ..
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無生の生
コギト ] 05:48 06/08
(7)無生の生 伝統的な往生観では、臨終において阿弥陀如来が多くの菩薩衆とともに念仏の行者のもとに来り迎えて、浄土へと連れて行ってくださるというイメージです(その様子は『観無量寿経』に記され、そ..
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至心回向
コギト ] 05:45 06/07
(6)至心回向 「至心に回向する」のは誰かという問題です。回向とは「めぐらしさしむける」という意味で、自分のもてる功徳を自他に「めぐらしさしむける」ということですが、もし「われら」が回向するのだ..
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即得往生
コギト ] 05:38 06/06
(5)即得往生 浄土教では伝統的に浄土に往生するのは臨終のときとされてきました。善導はその前提で「前念命終 後念即生」と言っているのですが、親鸞は第十八願成就文を梃子として、本願の信がえられたそ..
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前念命終 後念即生
コギト ] 05:59 06/05
(4)前念命終 後念即生 ところが本願の信がおこりますと、その構造がひっくり返ります。何度も言いますように、本願の信がおこるとは、これまで深層意識のなかに押し込まれていた本願が、あるときふいに姿..
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信と世界
コギト ] 05:43 06/04
(3)信と世界 普通の信(こちらからつかみとる信)はどこまでも疑いを伴う信であるのに対して、本願の信(本願につかみとられる信)は疑いが消えて澄みきった信であることを見てきましたが、次に考えたいの..
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「信じる」と「疑う」
コギト ] 06:19 06/03
(2)「信じる」と「疑う」 本願を信じるとは、すっかり忘れていた本願を思い出すことであると述べてきましたが、これは同じ信じるということばながら、普通に何かを信じるというときの信じるとはおよそ異な..
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