記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
本願のよびごえ
(7)本願のよびごえ
「南無阿弥陀仏」は弥陀の呼び声であることを明らかにするために、親鸞は「南無」ということばに注目します。「南無」とはサンスクリットの“namo”の音を漢字に置きかえたものであ..
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「おかえり」と「ただいま」
(6)「おかえり」と「ただいま」
前に「ありがとう」ということばについて考えましたが(第1回「生きる意味」)、今度は「おかえり」について思いを廻らせてみましょう。
「夕焼け小焼け」のなかを帰る..
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「ほとけのいのち」に帰る
(5)「ほとけのいのち」に帰る
「わたしのいのち」の根拠が「わたしのいのち」であるとき、「わたし」と「わたし」が生きる世界とはまったく別であり、「わたし」はあるとき突然見知らぬ世界にあらわれ、ま..
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結び目が消える
(4)結び目が消える
「わたしのいのち」という網の結び目は、あらゆるいのちの無尽のつながりである「ほとけのいのち」(網そのもの)のなかに新たに生まれてきたことを見てきましたが、では、「わたしのい..
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網の結び目
(3)網の結び目
一つの例を考えてみましょう。「わたし」には父と母がいて、弟と妹がいるとします。そして妻との間に息子と娘がいます。そうしますと、家族に限定しただけでも、「わたし」(網の結び目)を..
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無に帰す
(2)無に帰す
そこで死ぬとは何かを考えたいのですが、そのさいやはり問題となるのは「わたし」です。生きることは「わたしのいのち」を生きることであるように、死ぬことも「わたしのいのち」が死ぬことで..
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はじめに(11)
第11回 死ぬということ
(1)はじめに
前に「生きる意味」について考えましたが、今回は死について考えたいと思います。しかし「死ぬ意味」は何かと問われることはまずありません。生きることには意味..
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わが内なる本願
(9)わが内なる本願
カントは「実践理性の命令」に従うことがほんとうの自由であると言います。何の命令であれ、命令に従うのは不自由であるように思えますが、「実践理性の命令」に従うことこそ真の自由で..
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如来がわれらの内に
(8)如来がわれらの内に
如来がわれらを外から包みこんでくれるというだけでは、その確かな証拠がありません。如来は同時にわれらの内にあるからこそ、その存在が確かなものとなるのです。源信は「われまた..
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内と外
(7)内と外
如来はわれらの外にいますが、同時に、如来はわれらの内にいるということをイメージとして考えてきましたが、そのことは浄土の教えの中でどのように説かれているかを見ておきましょう。
如来..
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有量のいのちと無量のいのち
(6)有量のいのちと無量のいのち
このイメージは、ここに「有量のいのち」があり、どこかはるかに離れたところ(西方十万億土)に「無量のいのち」があるという構図です。実際『無量寿経』にはそのように説..
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生かされる
(5)生かされる
「わたしのいのち」を「わたしの意思」で生きることが自由であることは間違いありませんが、その「わたしの意思」が「欲望への意思」に乗っ取られてしまいますと、欲望の奴隷と化し、そこに..
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