記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,829件
貪愛瞋憎の雲霧
(4)貪愛瞋憎の雲霧
さて「わたしのいのち」はそのままで「ほとけのいのち」であると目覚めることが「無明の闇を破す」ことですが、そしてそれが救われたことに他なりませんが、しかしそのような目覚めに与..
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無明の闇を破す
(3)無明の闇を破す
「ほとけのひかり」とは「ほとけの智慧」に他なりませんから(「ひかり」とは「気づき」に他なりません)、そのなかに「をさめ」とられ「むかへ」とられるということは、「すでによく無..
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摂取して捨てず
(2)摂取して捨てず
さて「摂取の心光」と言われ「心光常護」と言われる「心光」とは、目に見える「色光」に対して、目には見えず、心で感じる「ひかり」です。その不思議な「ひかり」に摂取される(包み込..
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偈文1
第4回 よこさまに超える
(1) 偈文1
「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」のあと、さらに信を得たのちの風光が次のように詠われます。
摂取心光常照護 已..
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ただ五逆と誹謗正法とをば除く
(10)ただ五逆を誹謗正法とをば除く
さてこの問題に関連して、もうひとつ考えておかなければならないことがあります。第十八願に「唯除五逆誹謗正法」という一句があることです。
「正信偈」では「凡聖..
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わがこころのよくてころさぬにはあらず
(9)わがこころのよくてころさぬにはあらず
こんなふうに「われもひとも、よしあしといふことをのみ申しあへり」(『歎異抄』後序)というありさまですが、さてしかし本当に何が「よし」で、何が「あし」な..
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海に入りて一味
(8)海に入りて一味
後の二句、「凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水、海にいりて一味なるがごとし」のもとも『論註』の「海の性(しょう)の一味にして、衆流入れば、かならず一味となりて、海の味はひ、か..
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煩悩を断ぜずして涅槃を得る
(7)煩悩を断ぜずして涅槃を得る
ところで親鸞は「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」と言いますが、『論註』では「煩悩を断ぜずして涅槃の分をう」とあり、「分」がついています。これをどう理解すればいいかと..
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偈文2
(6)偈文2
さて「五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし」につづいて、次の四句でその信が生まれたとき何が起こるかが述べられます。
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉回入 如衆..
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「ほとけの願い」のリレー
(5)「ほとけの願い」のリレー
これまで繰り返し「わたしの願い」の奥底に「ほとけの願い」がひっそり息づいていると述べてきましたが、それは「わたしのいのち」はそのままで同時に「ほとけのいのち」であ..
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「わたしのいのち」のままで「ほとけのいのち」
(4)「わたしのいのち」のままで「ほとけのいのち」
さて次の二句、「五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし」ですが、この「如来如実の言」とは前の二句から明らかなように「弥陀の本願」のことです。..
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ただ弥陀の本願海をとかんとなり
(3)ただ弥陀の本願海をとかんとなり
さて問題はどうして釈迦出世の本懐が阿弥陀仏の本願を説くことにあるのかということです。それを考えるために「わたしの願い」と「ほとけの願い」の関係について考えて..
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