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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,829
本願と信心はひとつ
コギト ] 05:39 11/05
(9)本願と信心はひとつ さて摂取の光明とは、弥陀の本願がわれらに届けられるかたちであることを思い起こしたい。「いのち、みな生きらるべし」という「本の願い」は、ただ「願い」としてあるだけではわれ..
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「見る」と「感じる」
コギト ] 06:04 11/04
(8)「見る」と「感じる」 ここで「見る」ことと「感じる」ことを対比しておきましょう。まず何かを「見る」ときのことを考えてみますと、「見る主体」と「見られる客体」がはっきり分離されています。こち..
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つねにわれを照らしたまふ
コギト ] 05:36 11/03
(7)つねにわれを照らしたまふ さて、次の「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼をさへて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなく、つねにわれを照らしたまふといへり」という偈文ですが、源..
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機の深信と法の深信
コギト ] 05:29 11/02
(6)機の深信と法の深信 機の深信と法の深信はコインの表と裏のような関係ですから、どちらが先でどちらが後ということはありませんが、しかし実際にわれらの身に起こるときには、まず機の深信、そして法の..
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極重(ごくじゅう)の悪人はただ仏を称すべし
コギト ] 05:50 11/01
(5)極重(ごくじゅう)の悪人はただ仏を称すべし 源信讃の後半4句です。 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 極重(ごくじゅう)の悪人はただ仏を称すべし。 ..
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かの仏の願に順ずるがゆゑに
コギト ] 06:39 10/31
(4)かの仏の願に順ずるがゆゑに 法然は「ただ念仏により」往生できると信じることに薄皮一枚の躊躇いがあったのに違いありません。源信は雑修ではなく専修により報土に往生できるというが、その根拠はどこ..
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報の浄土に生ずるものはきはめて少なし
コギト ] 05:50 10/30
(3)報の浄土に生ずるものはきはめて少なし 源信は『往生要集』の最終章「問答料簡(りょうけん)」において、阿弥陀仏の報土に生まれるものはきわめて少ないという問題を取り上げています。そしてその問題..
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専雑の執心、浅深を判じて
コギト ] 06:04 10/29
(2)専雑の執心、浅深を判じて 『往生要集』という書ですが、こんなことばではじまります、「それ往生極楽の教行は、濁世末代に目足なり。…このゆゑに、念仏の一の門によりて、いささか経論の要文を集む。..
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源信ひろく一代の教をひらきて
コギト ] 05:26 10/28
第11回 つねにわれを照らしたまふ (1)  源信ひろく一代の教をひらきて 次は源信です。まず前半4句。 源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 源信ひろく一..
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未来とは
コギト ] 06:28 10/27
(10)未来とは 未来はどこにあるのか。それは現在にあるという結論になります。「いま」未来のことを考える、そのなかにしか未来はありません。「いま」明日のことを思い浮かべる、そこにしか明日はないと..
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三忍を獲(う)
コギト ] 06:28 10/26
(9)三忍を獲(う) さて第4句の「韋提と等しく三忍を獲」です。『観経』で釈迦が韋提希に「かの国土の極妙(ごくみょう)の楽事を見て、心歓喜するがゆゑに、時に応じてすなはち無生法忍を得ん」と告げる..
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慶喜(きょうき)と歓喜
コギト ] 05:16 10/25
(8)慶喜(きょうき)と歓喜 ここでは「慶喜」と言われ、第十八願成就文では「歓喜」と言われますが、親鸞はこの二つを区別してつかっています。歓喜については第十八願成就文を注釈するなかで「うべきこと..
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