記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,829件
第3回、本文3
(7)本文3
同じく善導『観経疏』の文で、今度は「定善義」から。
またいはく、「西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟(ひっきょう)逍遥(しょうよう)して(何ものにもとらわれないこと)有無を..
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異と同
(6)異と同
聖道門と浄土門はその見かけがまるで異なるにもかかわらず、どちらも仏教を名のるからには「どこかで同じ」であるはずです。ではそれは何かといいますと、「わたしへの囚われ(我執)」です。
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聖道と浄土
(5)聖道と浄土
この文を読みますと、その底に道綽から善導へと受け継がれてきた流れとしての「聖道門と浄土門の峻別」の志向が強く感じられます。「末法の世」という感覚とともに、もうこれまでの聖道門は..
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第3回、本文2
(4)第3回、本文2
今度は善導『観経疏』から二文引かれます。まずは「玄義分」から。
光明寺の『疏(しょ)』にいはく、「弘(ぐ)願(がん)といふは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生..
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第一起点としての「わたし」
(3)第一起点としての「わたし」
釈迦が菩提樹の下で悟った(目覚めたと言った方がいいかもしれません、気づきを得たということですから)のは縁起とか無我だとされます。縁起や無我とは「あらゆるものは互..
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救いは「むこうから」
(2)救いは「むこうから」
先回の終わりに、救いの本質に「いま」があるという話をしました。救いは「いま」にしかないということです。そして救いの本質にはもうひとつ、「むこうから」ということがありま..
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第3回、本文1
第3回 救いは「むこうから」
(1) 本文1
『論註』の後、親鸞は道綽の『安楽集』から次の文を引きます。
『安楽集』にいはく、「しかるに二仏(弥陀と釈迦)の神力また斉(さい)等(とう)..
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現当二益(げんとうにやく)
(9)現当二益(げんとうにやく)
ことばの意味としまして涅槃とは煩悩を断じた境地を指しますから、煩悩を断じないまま涅槃を得るというのはあからさまな矛盾と言わなければなりません。そこで曇鸞はその矛..
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本文4
(8)本文4
『論註』からの最後の引用です。
また『論』にいはく、「荘厳(しょうごん)清浄(しょうじょう)功徳(くどく)成就(じょうじゅ)(国土荘厳十七種の第一荘厳)とは、偈に〈観(かん)..
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四海のうちみな兄弟
(7)四海のうちみな兄弟
「四海のうちみな兄弟」や「世々生々の父母兄弟」ということばは、みんな分け隔てない「御同朋、御同行」であるということですが、ひいては一切の有情は切り離しがたくひとつにつな..
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本文3
(6)本文3
『論註』の第三と第四の文です。
荘厳(しょうごん)眷属(けんぞく)功徳(くどく)成就(じょうじゅ)(国土荘厳十七種の第十三荘厳)とは、偈に、〈如来(にょらい)浄(じょう)華(..
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往相がそのまま還相
(5)往相がそのまま還相
一旦浄土に往生して、しかる後にふたたび娑婆に還ってくるという見方は、浄土を娑婆とは別のどこかにある世界と捉えることから生まれてきます。浄土が別の世界でしたら、まずそこに..
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