記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,829件
真実と虚妄
(5)真実と虚妄
さて本文の「巧方便回向(ぎょうほうべんえこう)」ですが、こう言われます、菩薩は「実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄の相を知れば、すな..
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「わたしのいのち」と「ほとけのいのち」
(4)「わたしのいのち」と「ほとけのいのち」
菩薩とは「われら」かそれとも「法蔵」かということを考えてきましたが、結局のところ、「われら」であるとともに同時に「法蔵」であるということになり、「法..
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覈(まこと)に其の本を求むるに
(3)覈(まこと)に其の本を求むるに
しかし、よくよく考えてみますと、この二つの解釈は実はその底で一つにつながっていると言わなければなりません。天親はあくまで「われら願生の行者」を主語として、い..
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菩薩とは誰のこと?
(2)菩薩とは誰のこと?
「願偈大意」は文字通り「願生偈」の大意、すなわち浄土を観じてそこに生まれたいと願うことを述べ、「起観生信」は、ではどのように浄土を観じ、どのように信心を起こせばいいかと..
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第9回、本文1
第9回 願作仏心はすなはちこれ度衆生心
(1) 第9回、本文1
浄入願心の章が終わり、次の善巧摂化(ぜんぎょうせっけ、菩薩の巧みな衆生済度のはたらき)の章に入ります。
善巧摂化とは、〈..
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念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず
(10)念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず
親鸞の驚くべきことばが『歎異抄』に記録されています、「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべ..
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救いは「もうすでに」
(9)救いは「もうすでに」
そもそも「これから」与えられる救いというものはあるのでしょうか。「これから」与えられる救いは救いと呼んでいいものでしょうか。救いは「もうすでに」与えられているからこそ..
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「もうすでに」と「これから」
(8)「もうすでに」と「これから」
「ほとけのいのち」に摂取不捨されたことが、かならず「ほとけのいのち」になることの「しるし」であることを見てきました。ところで本願を信受した人にとって、「ほとけ..
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しるし
(7)しるし
われらは「わたしのいのち」を生きていますが、そのままで「ほとけのいのち」に摂取不捨されていると気づくこと、これが信心を得ることであり、そしてそれが「かならず仏となるべき身」となる「..
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かならず仏となるべき身となれる
(6)かならず仏となるべき身となれる
曇鸞が『十住論』のこの箇所に注目したように、親鸞もそこに出てくる「歓喜地」ということばに鋭く反応し、さまざまなところでこのことばをつかっています。『高僧和讃..
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畢竟じてまさに清浄法身を得べし
(5)畢竟じてまさに清浄法身を得べし
曇鸞はそれを譬えるのに、まず「出家の聖人」と「凡夫の出家のもの」を取り上げ、後者は煩悩具足であることにおいては前者と同じではないが、出家しているという点で同..
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第8回、本文2
(4)第8回、本文2
器である浄土も、そこに住む衆生である仏・菩薩も清浄であるとした上で、曇鸞は一つの問いを出し、それにみづから答えます
問うていはく、衆生清浄といへるは、すなはちこれ仏と..
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