記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,743件
恩愛はなはだたちがたく
(16)恩愛はなはだたちがたく
この三首で、菩薩が(龍樹が)万善諸行の修行の果てに念仏により救われたことを述懐しています。曠劫よりこのかた万善諸行をつんでも生死の苦海からでることはできなかった..
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『大智度論』
(15)『大智度論』
龍樹讃の最後の三首を一気に読みましょう。
「『智度論』にのたまはく 如来は無上法皇なり 菩薩は法臣(ほっしん)としたまひて 尊重(そんじゅう)すべきは世尊なり」(..
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「ぼくは悪い人間です」
(14)「ぼくは悪い人間です」
「不寛容社会」というテレビ番組がおもしろかった。ネット社会が進むにつれて、ちょっとした非を咎めてネットが炎上するとか、ヘイトスピーチがまかり通るとか、とにかく自..
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生死の苦海
(13)生死の苦海
次の和讃です。
「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」(第7首)。
「生死の苦海ほとりなし、久遠劫..
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「わたし」は無効に
(12)「わたし」は無効に
この二首で「つねに弥陀を称すべし」「弥陀の名号称すべし」と言われるとき、そこではもはや「わたし」は無効になっているということを改めて確認しておきたいと思います。すで..
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つねに弥陀を称すべし
(11)つねに弥陀を称すべし
空の境地と念仏の境地が実は同じであることを見てきました。そこから次の二首が生まれます。
「本師龍樹菩薩の をしへをつたへきかんひと 本願こころにかけしめ..
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一幅の絵のように
(10)一幅の絵のように
さてしかし、この疑義の背景には、こちらにいる「わたし」があちらの「仏」を「念ずる」という常識的な構図があります。ところが龍樹の空の観点からいいますと、「わたし」も「..
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難行と易行
(9)難行と易行
ふたたび『十住毘婆沙論』から引きますと、「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行(ぶぎょう)はすなはちくるしく、水道の乗船はすなはちたのしきがごとし。菩薩の道..
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現にまへにましますがごとし
(8)現にまへにましますがごとし
過去・現在・未来の諸仏世尊を念ずることにより、仏たちが「現にまへにましますがごと」くになり、喜びがこみ上げるのだと言います。
この文で「諸仏世尊を念ずる」..
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歓喜地
(7)歓喜地
第3首のもとになっているのは『十住毘婆沙論』です。この書物は『華厳経』の「十地品」(独立した経典としては『十地経』)を注釈したもので、「十住」は「十地」と同じであり、「毘婆沙」と..
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縁起
(6)縁起
龍樹は、行為も行為主体もあるのは間違いないが、それらが別々に関係なくあるのではなく、つながりの中ではじめて存在すると言っているのです。これはまさしく釈迦が言ったとされる「これがある..
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行為と行為主体
(5)行為と行為主体
「このすでに実在する行為主体は、すでに実在する行為をなさない。未だ実在していない行為主体もまた、未だ実在していない行為をなそうとは思わない」という謎めいたことばをぼく流に..
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