記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,833件
主観的と客観的
(10)主観的と客観的
「南無阿弥陀仏(おかえり)」の声は、ある人には存在し、ある人には存在しないような主観的なもの、という点についてもう少し考えておきましょう。これは普遍的な救いという浄土..
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自然(じねん)ということ
(9)自然(じねん)ということ
何かの存在を証明するということには、それが客観的に存在するという前提があります。ところが「南無阿弥陀仏(おかえり)」の声は主観的なものですから、その存在を証明す..
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こころに届く声
(8)こころに届く声
何かの存在を証明するということは、その何かは客観的な存在であるということ、誰にとっても存在するということを意味します。キリスト教の神はこの世界を創った(造物主)と言うので..
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仏の存在
(7)仏の存在
日常のことばである「おかえり(帰っておいで)」の発信源はたとえば母親です。外で遊んでいる子どものこころには母親の「おかえり」の声が届いており、それが子どもの生きる力となっていま..
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おかえり
(6)おかえり
「南無阿弥陀仏」も同じで、こちらが「南無阿弥陀仏」と呼びかけるのに先立って、向こうから「南無阿弥陀仏」という呼び声が(耳にではなくこころに)届くから、それに応答して「南無阿弥..
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南無阿弥陀仏
(5)南無阿弥陀仏
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に帰命いたします」ということですから、これはわれらが阿弥陀仏に向かって申し上げることばであるのは当然だと思います。「ナマステ」とは「あなたを敬..
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帰敬偈
(4)帰敬偈
このように正信偈は「行巻」を凝縮したものであるとともに、『教行信証』全体のエッセンスであるということもできます。したがってこの中に親鸞の浄土思想の核心が詰まっているわけで、蓮如が..
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親鸞の浄土思想の核
(3)親鸞の浄土思想の核
正信偈は『教行信証』のエッセンスを手短にまとめた偈文だと先ほど言いましたが、それがどうして全体の最後に置かれずに途中の行巻の末に入れられたのかという疑問がうかびます。..
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そもそも正信偈とは
(2)そもそも正信偈とは
正信偈が日々のお勤めの中心に据えられるようになったのは、蓮如によってです。それまではおそらく善導の『往生礼讃』などを読誦していたと思われますが、それを宗祖・親鸞のつく..
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偈文1
第1回 はじめに
(1)偈文1
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 無量寿如来に帰命し
南無不可思議光(なもふかしぎこう) 不可思議光に南無したて..
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衆善海水のごとく
(19)衆善海水のごとく
いよいよ最後の一首になりました。
「南無阿弥陀仏をとけるには 衆善海水のごとくなり かの清浄の善身にえたり ひとしく衆生に回向せん」(第119首)。
「南..
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「わたしのいのち」
(18)「わたしのいのち」
「わたしのいのち」はただ「わたしのいのち」であって、それ以上でも以下でもないと思うことに何の問題があるのかと言われるかもしれません。釈迦に答えてもらいましょう。「..
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