記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,833件
物語なんて
(5)物語なんて
このように「論理のことば」で気づきを語ろうとしますと(そしてその証言を読み聞きしようとしますと)、「わたしはいない」と「わたしはいないことはない」という自家撞着のなかで悶々と..
タグ: 親鸞を読む
自家撞着
(4)自家撞着
ただこのことは言わなければなりません、「論理のことば」で気づきを語ることにはどうにもならない困難がつきまとうと。前にも言いましたように(第10回、7)、「論理のことば」で「かく..
タグ: 親鸞を読む
気づきに難も易もない
(3)気づきに難も易もない
かくして「論理のことば」による難行道と、「物語のことば」による易行道の二つがあるということになるのですが、難行・易行というのは、すでに真理の気づきを得ている龍樹から..
タグ: 親鸞を読む
難行と易行
(2)難行と易行
難行道は「悟りの道」、易行道は「信心の道」と言い換えることができます。その対比を考えるにあたって、あらためて「真理そのもの」と「真理を伝えることば」の区別に立ち返りたいと思い..
タグ: 親鸞を読む
偈文11
第11回 龍樹-すなはちのとき必定にいる
(1)偈文11
顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうりくろく) 難行の陸路、苦しきことを顕
示して、
信楽易行水道..
タグ: 親鸞を読む
物語のことば
(9)物語のことば
「物語のことば」は現実から自由だと言いましたが、でもその出発点はあくまでも「気づきという事実」です。名状しがたい気づきがあった、というそれ自体は天地がひっくり返っても確かな..
タグ: 親鸞を読む
否定と肯定
(8)否定と肯定
『中論』の冒頭に「何ものも生ずることなく、何ものも滅することなく、何ものも常であることなく、何ものも断絶することなく、何ものも同一であることなく、何ものも異なることなく、何も..
タグ: 親鸞を読む
主客未分と主客分離
(7)主客未分と主客分離
西田哲学に「主客未分」というキーワードがあります。デカルトにはじまる西洋の近代哲学は主客(主体と客体)の分離からスタートするのですが、西田幾多郎はそれに異を唱え、主客..
タグ: 親鸞を読む
論理のことば
(6)論理のことば
ある気づきがいやしくも真理と言うに値するものでしたら、それは「こころもおよばれず、ことばもたへたり」であるに違いありません。もしそれがそのままことばになるようなものでしたら..
タグ: 親鸞を読む
『中論』という書物
(5)『中論』という書物
『中論』も読者を撥ねつけるような相貌をしています。冒頭(帰敬序といわれます)に結論が掲げられます、「何ものも生ずることなく、何ものも滅することなく、何ものも常であるこ..
タグ: 親鸞を読む
とことん論理的に
(4)とことん論理的に
スピノザにあるときひとつの気づきがやってきたに違いありません。それはどうも普通のキリスト教の教えとはかなり違うようです。キリスト教では「神が世界を創造した」と教えますが..
タグ: 親鸞を読む
スピノザという人
(3)スピノザという人
これまでもスピノザという人に何度か言及したことがありますが、ここであらためてこのオランダの17世紀の哲学者のことを少しばかりお話したいと思います。
実は、いま縁..
タグ: 親鸞を読む