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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,832
末那識
コギト ] 05:12 07/21
(5)末那識  いつも「自分が、自分が」と思っているということは、「実体としてのわれにとらわれている」ということです。唯識ではそれを説明するものとして「末那識(まなしき)」という深層の意識を上げ..
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指月のたとえ
コギト ] 05:20 07/20
(4)指月のたとえ  天親に戻りますと、彼もまた龍樹と同じように、一方では「論理のことば」で真理そのものを語るとともに(唯識説)、他方では「物語のことば」によって同じ真理を伝えようとしたのではな..
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浄土門こそ仏教
コギト ] 05:14 07/19
(3)浄土門こそ仏教  寓宗にすぎなかった浄土教を独立させたのが法然です。だからこそ法然は興福寺や延暦寺などからの猛攻撃を受けなければならなくなり、ついには承元の法難で流罪の憂き目をみることにな..
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寓宗としての浄土教
コギト ] 05:28 07/18
(2)寓宗としての浄土教  ぼくらは中観や唯識といった大乗仏教の本流と浄土の教えとは水と油のような関係にあるとイメージしがちです。  それも無理はないわけで、両者の顔つきはまるで違いますから、..
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偈文12
コギト ] 05:24 07/17
          第12回 天親-一心をあらわす (1)偈文12  天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)   天親菩薩、論1を造りて説(と)かく、  帰命無碍光如来(きみょうむ..
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おりにしたがふて、ときどきも
コギト ] 05:55 07/16
(11)おりにしたがふて、ときどきも  「常に如来の号を称して」の「常に」には注意が必要です。「常に」と言いますと「四六時中」というニュアンスですが、ぼくらは「常に」本願を憶念し、如来の号を称す..
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常に如来の号を称す
コギト ] 05:16 07/15
(10)常に如来の号を称す  動物たちの生きざまを見ていますと、彼らはみな「永遠のいま」に生きているように思えてなりません。彼らにとって、生きること、そして死ぬことのすべてが「永遠のいま」のこと..
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すなはちのとき
コギト ] 05:50 07/14
(9)すなはちのとき  本願に気づくことにより必定に入るのではありません、本願に気づくことが取りも直さず必定に入ることなのです。そこには時間の経過がありません。ぼくらは何かを知ることができますと..
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本願を憶念する
コギト ] 05:34 07/13
(8)本願を憶念する  もういちど気づきという主客未分の経験に戻りますと(4)、そこには「わたし」がいません。気づきのなかで、「わたし」は真理と、あるいは世界とひとつになっていて、まだ「わたし」..
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たとえ実在しなくても
コギト ] 05:26 07/12
(7)たとえ実在しなくても  さて、キング牧師の夢そのものに真実があると感じるのは、それがキング牧師の勝手な夢ではなく、みんなのこころのなかにそれが潜んでいるからではないでしょうか。それが、ほん..
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現実ではないが
コギト ] 05:15 07/11
(6)現実ではないが  物語とは「創られたお話」ということ、つまり虚構、フィクションですから、まさに真実の対極にあるものと考えられます。だからこそ「物語のことば」で語られたことなど受け入れること..
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物語なんて
コギト ] 05:34 07/10
(5)物語なんて  このように「論理のことば」で気づきを語ろうとしますと(そしてその証言を読み聞きしようとしますと)、「わたしはいない」と「わたしはいないことはない」という自家撞着のなかで悶々と..
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