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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,832
歴史的な悪
コギト ] 05:38 08/26
(4)歴史的な悪  釈迦があらゆる苦しみのもとに我執があると言うとき、その我執が悪に他なりませんが、ただその悪は個人的なものにとどまっていると言えます。「わがものへのとらわれ」はその人自身に苦し..
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悪ということ
コギト ] 05:27 08/25
(3)悪ということ  龍樹・天親・曇鸞にはあまり悪の影が感じられませんが、道綽から善導への流れにおいて悪というものが前面に出てきます。  翻って考えてみますと、そもそも釈迦は悪から出発していま..
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当今は末法
コギト ] 05:18 08/24
(2)当今は末法  龍樹では難行道もあるが、易行道もある、ただ行く道が違うだけで、どちらを通っても同じところに行けるということでしたが、道綽になりますと、自力難行道をとる聖道門はもはや不可能であ..
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偈文16
コギト ] 06:13 08/23
          第16回 道綽-ただ浄土の通入すべき (1)偈文16  道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう) 道綽、聖道の証し難きことを決して、  唯明浄土可通入(ゆ..
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二元構造
コギト ] 05:41 08/22
(9)二元構造  たとえば蓮如。「末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえと..
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ひとし
コギト ] 05:54 08/21
(8)ひとし  「おなじ」というのは「ひとつ」ということですが、「ひとし」というのは「ひとつ」とは言えないが、しかし「ふたつ」でもないということです。信心のひとは如来と「ひとつ」ではないが、しか..
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生死すなはち涅槃なり
コギト ] 06:17 08/20
(7)生死すなはち涅槃なり  しかし、真実をみずから知ろうとするというのはよく分かるが、向こうから知らしめられるというのはどういうことか、向こうというのが阿弥陀如来だということをどう受けとめれば..
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自然のやうをしらせんれう
コギト ] 05:44 08/19
(6)自然のやうをしらせんれう  「わがいのち」は紛れもなく「わがいのち」であり、同時に「わがいのち」ではない、というのは、何度も言いますように、どうしようもない矛盾ですから、普通の感覚ではつい..
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阿弥陀如来の登場
コギト ] 06:07 08/18
(5)阿弥陀如来の登場  「わがいのち」は「わがいのち」でありながら、同時に「わがいのち」ではない、というのは紛れもない矛盾ですが、そこに否みようのない真実を感じるのも事実です。その微妙な消息を..
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無我ということ
コギト ] 05:36 08/17
(4)無我ということ  釈迦の悟りの原点である「無我」に立ち返って考えてみましょう。われらは時間とともに変化することのない「われ」があると思って生きているが、実はそんなものはどこにもないのだ、と..
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如来の本願力
コギト ] 05:50 08/16
(3)如来の本願力  『論註』で曇鸞は他力についてどう言っているか見ておきましょう。  曇鸞は「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行(往生したものがおこす利他の行..
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他力ということ
コギト ] 05:04 08/15
(2)他力ということ  ここであらためて確認しておきたいと思いますが、往生すること、すなわち浄土へ往くのは死んでからではありません。聖道門は「現生の悟り」、浄土門は「来生の往生」、という伝統的な..
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