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記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,832
本願海が開く
コギト ] 05:12 09/19
(2)本願海が開く  「あく」には「開く」、「明く」、「空く」があり、「開く」は「扉が開く」、「明く」は「夜が明く」、「空く」は「席が空く」というようにつかいます。「開く」(と「明く」)の反対は..
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偈文19
コギト ] 05:55 09/18
          第19回 善導-本願の大智海に開入す (1)偈文19  開入本願大智海(かいにゅうほんがんだいちかい)   本願の大智海に開入すれば、  行者正受金剛心(ぎょうじゃし..
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名号が聞こえる
コギト ] 05:45 09/17
(9)名号が聞こえる  親鸞は「行巻」の巻頭に魏訳の『仏説無量寿経』(普通に無量寿経というときにはこれを指します)からその17願を引用するだけでなく、(唐訳の『如来会』と)呉訳の『大阿弥陀経』そ..
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第17願
コギト ] 05:57 09/16
(8)第17願  名号が往生の因であるということを、どう理解すればいいでしょうか。  まず、われらが名号を称えること(称名念仏)が因となって、往生という果がえられるのでないことはもう言うまでも..
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光明と名号
コギト ] 05:53 09/15
(7)光明と名号  本願に遇うことで、はじめて宿業に遇うと言いましたが、どうして本願に遇うと宿業に遇い、生きることに後ろめたさを感じるのでしょう。  宿業の催しとはスピノザのことばを借りれば「..
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宿業と本願
コギト ] 05:41 09/14
(6)宿業と本願  世に聖者(善人)と凡夫(悪人)がいるのは確かですが、ある人はたまたま聖者となり、またある人はたまたま凡夫となっているだけのことで、あるときどんな因縁がはたらいて聖者がとんでも..
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宿業と自由
コギト ] 05:43 09/13
(5)宿業と自由  われらはわれらの知る由もない因と縁にもとづいて何ごとかをしているのですが(これが宿業です)、でもそのとき必ず「そうしようとしている」と思っています(これが自由です)。ですから..
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宿業の自覚
コギト ] 05:45 09/12
(4)宿業の自覚  ですから、こういうことになります。世に聖人と凡夫の区別があるのではなく、宿業の自覚がないゆえにもとから聖人と凡夫の区別があると思っている人と、宿業を自覚しているがゆえに聖人と..
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聖者(しょうじゃ)と凡夫
コギト ] 05:28 09/11
(3)聖者(しょうじゃ)と凡夫  「定散と逆悪とを矜哀して」という第2句は、定善をよくなし得る人も、また定善はなしえないが散善ならできる人も、はたまたそのいずれもできず五逆・十悪をなすしかない人..
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古今楷定(ここんかいじょう)
コギト ] 06:31 09/10
(2)古今楷定(ここんかいじょう)  ではどうひっくり返したのか。先に少し触れましたように、『観経』の前半の13観はこころを統一して(禅定に入り)浄土と仏を観る「定善」ですが、後半3観においては..
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偈文18
コギト ] 06:23 09/09
            第18回 善導-光明と名号 (1)偈文18  善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)  善導ひとり仏の正意を明かせり。  矜哀定散与逆悪(こうあいじょ..
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信心のさだまるとき往生またさだまる
コギト ] 05:49 09/08
(9)信心のさだまるとき往生またさだまる  『大経』において、はっきりと臨終の往生を説くのは、第19願においてと、いわゆる三輩段とよばれる箇所(第19願の成就文と解釈されます)だけです。第19願..
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