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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,832
第20通第1段本文
コギト ] 05:49 06/22
          第7回 くすりあり、毒をこのめと (1)第20通第1段本文  『末燈鈔』第20通を読みます。かなり長い手紙ですので、4段に分けて読んでいきます。まずは第1段。  ..
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「信心プラス念仏イコール往生」ではない
コギト ] 05:32 06/21
(10)「信心プラス念仏イコール往生」ではない  「信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば念仏往生とふかく信じて、しかも名号..
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ただ念仏
コギト ] 05:45 06/20
(9)ただ念仏  この手紙は有阿弥陀仏に宛てられていますが、どのような人かよく分かっていません。そして何年に書かれたものかも分かりませんが、末尾の書きぶりからしまして、最晩年の手紙であろうと思わ..
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第12通本文
コギト ] 05:20 06/19
(8)第12通本文  『末燈鈔』第12通も一緒に読んでおきましょう。第11通と同じ趣旨の手紙です。  尋ね仰せられ候ふ念仏の不審のこと。念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらん..
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これみな弥陀の御ちかひ
コギト ] 05:20 06/18
(7)これみな弥陀の御ちかひ  「信の一念」と「行の一念」はふたつにしてひとつであることを言うのに、親鸞は「これみな弥陀の御ちかひ」であるという決定打を放ちます。信も弥陀の誓いであり、行も弥陀の..
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訓詁学的議論をすれば
コギト ] 05:36 06/17
(6)訓詁学的議論をすれば  成就文の乃至一念を「信の一念」ととりますと、本願には乃至十念と行が説かれているのに(乃至十念が行であることは異論がないでしょう)、その成就文には信だけがあって行には..
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行の一念
コギト ] 05:44 06/16
(5)行の一念  では「行の一念」とは何か。これまた本願成就文が教えてくれます、「信心歓喜、乃至一念(信心歓喜せんことないし一念せん―親鸞の読み)」と。第18願には「至心信楽、欲生我国、乃至十念..
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本願を信じるということ
コギト ] 05:28 06/15
(4)本願を信じるということ  普通に信じると言うときは、一方に信じる対象があり、そして他方に信じる自分がいます。信の客体と主体。この両者ははっきり分かれており、主体は客体をいじくりまわして、こ..
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信の一念と行の一念
コギト ] 05:21 06/14
(3)信の一念と行の一念  覚信房が建長八年四月七日付けで書いた手紙を親鸞が五月二十六日に受けとったことが分かりますが、その間一か月半以上あることに京と関東の距離の隔たりと当時の時間の流れの悠長..
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覚信房という人
コギト ] 05:42 06/13
(2)覚信房という人  この手紙は覚信房に宛てられていますが、覚信房とは下野高田の人で、手紙の末尾に親鸞が「いのち候はゞかならずかならずのぼらせ給ふべく候」と追伸していることからも二人の間柄が偲..
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第11通本文
コギト ] 05:28 06/12
               第6回 信と行 (1)第11通本文  『末燈鈔』の第11通です。  専信坊、京ちかくなられて候ふこそ、たのもしうおぼえ候へ。又御こころざしの銭三百文、た..
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気づくとは
コギト ] 05:06 06/11
(10)気づくとは  さて、「愚者になりて往生す」です。「愚者になる」とは「己の愚を自覚する」ことですが、「己の愚を自覚する」とは「己の内なる我執に気づく」ことであり、それは取りも直さず「我執か..
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