記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,832件
自力と他力(つづき)
(6)自力と他力(つづき)
自力と他力も同じ事情にあります。どこかに自力なるもの、他力なるものがあるのではなく、どちらも気づきにおいてはじめて姿をあらわします。すべては自力だと気づいたときに自..
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自力と他力
(5)自力と他力
「そのところの縁つきた」から「いづれのところにてもうつらん」とはからうのと、「余のひとびとを縁として、念仏をひろめんとはからふ」のを対比してきました。前者が縁にしたがう他力の..
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余のひとびとを縁として
(4)余のひとびとを縁として
一方、縁起・無我の思想でいいますと、すべては縦横無尽の関係・繋がりのなかにあり、しかもそれは時々刻々うつり変わっていきますから、そのひとつの結節点にすぎない「わた..
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そのところの縁つきて
(3)そのところの縁つきて
その土地で念仏が妨げられ迫害されるというのは、「そのところの縁つきておはしまし候ふ」ということだから、「いづれのところにてもうつらせたま」うのがよろしいという驚くべ..
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慈信坊がやうやうに申し候ふ
(2)慈信坊がやうやうに申し候ふ
日付として正月九日としかありませんが、他の手紙との関係から判断して建長八年の正月九日であることは間違いないでしょう。前回読みました第10通、念仏人々御中あての..
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『親鸞聖人御消息集』第12通
第10回 そのところの縁つきて
(1)『親鸞聖人御消息集』第12通
第12通、真浄房宛ての手紙です。2段に分け、まず第1段。
さては念仏のあひだのことにより..
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第3段本文
(9)第3段本文
最後の第3段です。
つぎに、念仏せさせたまふひとびとのこと、弥陀の御ちかひは煩悩具足のひとのためなりと信ぜられ候ふは、めでたきやうなり。ただし、わるきもののためなりと..
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無眼人、無耳人
(8)無眼人、無耳人
理不尽な迫害にじっと堪え忍ぶことすらできそうにないのに、迫害を加えてくる相手を哀れに思い、その人のために念仏するなんてことは常軌を逸していると感じます。そんなことがどうし..
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この世のならひ
(7)この世のならひ
親鸞は「この世のならひにて、念仏をさまたげん人は、そのところの領家・地頭・名主のやうあることにてこそ候はめ、とかく申すべきにあらず」と言います。地域の権力者たちが念仏を妨..
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念仏をとどめんと
(6)念仏をとどめんと
第1段で念仏の人々に対して「よろづの仏・菩薩をかろしめまゐらせ、よろづの神祇・冥道(みょうどう)をあなづりすてたてまつると申すこと、このことゆめゆめなきことなり」と諭し..
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第2段本文
(5)第2段本文
第2段に進みます。
詮ずるところは、そらごとを申し、ひがごとを、ことにふれて、念仏のひとびとに仰せられつけて、念仏をとどめんとするところの領家・地頭・名主の御はからひ..
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ただ弥陀の本願海を説かんと
(4)ただ弥陀本願海を説かんと
諸仏の一人である釈迦と弥陀の関係を考えてみましょう。浄土の教えでは、釈迦は弥陀の本願を説くためにこの世に現れたとされます。「正信偈」には「如来所以興出世、唯説弥..
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