記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,829件
平生業成、不来迎
(2)平生業成、不来迎
これは、すでに1・2で触れられていた「平生業成、不来迎」について、問答形式でより明確にしようとしていると言えます。そのことばの意味については過不足なく説き尽くしていると言..
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第1帖・第4通の前段
第3回 第1帖・第4通、第5通,第6通
(1)第1帖・第4通の前段
そもそも、親鸞聖人の一流においては、平生業(へいぜいごう)成(じょう)の義にして、来迎をも執せられ候はぬよし、承りおよび..
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わが身に感受し頷く
(12)わが身に感受し頷く
上で定理1としたのが機の深信で、定理2が法の深信です。しかし、機の深信も法の深信も数学の定理とは似ても似つかぬものです。「三角形の内角の和は二直角である」は客観的真理..
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かかるあさましき罪業
(11)かかるあさましき罪業
少し前のところでこう言いました、蓮如の語りは「ここに客観的な真理がある」と言っているような気がすると(7)。親鸞によって確立され、覚如・存覚によって磨き上げられてき..
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われらごときのいたずらもの
(10)われらごときのいたずらもの
この「おふみ」でも、同じような感じをもってしまいます。「ただあきないをもし、奉公をもせよ。猟、すなどりをもせよ」と語っている蓮如自身は「かかるあさましき罪業」..
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第1帖・第3通
(9)第1帖・第3通
次の第3通に進みます。
まづ当流の安心(あんじん)のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念(もうねん)妄執(もうしゅう)のこころのおこるをも、とどめよ..
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主体的真理
(8)主体的真理
客観的な真理においては、主体は消去されます。ある人が言っているから真理であるのではなく、誰が言おうとそんなことには関係なく正しいのが客観的真理です。「どんなつみびとも漏らさず救..
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ここに客観的な真理がある
(7)ここに客観的な真理がある
蓮如の「十悪・五逆・謗法・闡提のともがら」と、親鸞の「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生」。何も変わらないように見えるかもしれませんが、前者の「ともがら」には蓮如は含まれて..
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十悪・五逆・謗法・闡提のともがら
(6)十悪・五逆・謗法・闡提のともがら
ここで蓮如は『高僧和讃』から源信を讃える一首を引き、その第2句「外儀(げぎ)のすがたはことなりと」をふくらませて、どんなつみびとであっても、という論点にふ..
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第2通の後段
(5)第2通の後段
『和讃』にいはく、「弥陀の報土をねがふひと 外(げ)儀(ぎ)のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐(ごび)にわするることなかれ」といへり。「外儀のすがた」といふは、..
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平生業成
(4)平生業成
「信心のさだまるとき往生またさだまるなり」、これが平生業成(へいぜいごうじょう)の教えです。往生が定まるのは臨終のときではなく、信心の定まる平生である、というのですが、これの意味..
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不来迎
(3)不来迎
どうして「聞其名号 信心歓喜(その名号を聞きて、信心歓喜せん)」のそのとき「即得往生 住不退転(すなはち往生を得、不退転に住せん)」と言えるのか、それはそれに先立って如来の「至心回..
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