記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,831件
自力の菩提心と他力の菩提心
(2)自力の菩提心と他力の菩提心
親鸞の他力思想に対しては、しばしば次のような疑問が出されます。本願他力に遇うとか、本願他力に気づくと言いますが、それは何もしないで、ただじっと待つということで..
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浄土の大菩提心
第3回 願作仏心と度衆生心
(1)浄土の大菩提心
像末五濁の世では釈迦の遺教、すなわち自力聖道の教えは竜宮に隠れ、本願他力の教えが盛んとなると詠われてきましたが..
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囚われの気づき
(10)囚われの気づき
ぼくらは救いを得るとは言わず、「救われる」と受動で言います。他のあらゆるものは、こちらから得ようとして得るものでしょうが、救いだけは、向こうから思いがけず与えられるしか..
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自力で無我を悟るのは不可
(9)自力で無我を悟るのは不可
以上のことからはっきりしましたのは、聖道門において自力で悟りを得るというのは、われらが自分のために自分の力で悟りを得ようと努力するということであり、一方、浄土門..
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自力と他力
(8)自力と他力
仏教と聞いて誰もが思い浮べるもっとも代表的な教説と言えば、やはり「無我」ではないでしょうか。ですから、もしも浄土門において無我の教説が否定されたり無視されたりするのでしたら、..
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聖道門と浄土門
(7)聖道門と浄土門
聖道門と浄土門ということばは道綽に由来しますが、そのおおもとは龍樹にあります。彼は仏道に難行道と易行道の別があることを明らかにしてくれました、「仏法に無量の門あり。世間の..
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弥陀の悲願ひろまりて
(6)弥陀の悲願ひろまりて
さて、ここが微妙で厄介なところですが、主観的真理としての仏法がもはやどこにも存在しないという事態は、それが存在しないとすら言えないということです。存在すると言えない..
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ゲットされる真理
(5)ゲットされる真理
和讃からは離れますが、客観的真理と主観的真理について、もう少し考えつづけたいと思います。
客観的真理は、その真理性を客観的に証明できなければ真理として認定してもらえ..
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ところが仏法は
(4)ところが仏法は
ところが仏法は(というより、宗教的真理はというべきでしょうか)、誰かがそれを覚って(気づいて)はじめて存在し、もしそれを覚らなければどこにも存在しません。つまり仏法はどこ..
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たとえばピタゴラスの定理
(3)たとえばピタゴラスの定理
たとえばピタゴラスの定理。「直角三角形の斜辺の長さの2乗は、他の2辺の2乗の和にひとしい」という真理ですが、これがぼくにとって印象的なのは、中学の時、若い数学の..
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釈迦の遺弟悲泣せよ
(2)如来の遺弟悲泣せよ
さてこの和讃では「如来の遺弟悲泣せよ」と詠われますが、釈迦が亡くなられてどれほど時間が経とうと、釈迦が悟り伝えてくれた法(真理)が消えてしまうことはありません。人の生..
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正像末法とは
第2回 像末五濁の世となりて
(1)正像末法とは
蓮如が文明5年に開版したいわゆる文明版『正像末和讃』(「草稿本」と比べますと、かなり手が入っています)は「夢..
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