記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,831件
願力無窮にましませば
(8)願力無窮にましませば
もう一首、同じく聖覚の文をもとに詠われた和讃です。
願力無窮(むぐう)1にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸..
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智眼くらしとかなしむな
(7)智眼くらしとかなしむな
いまここが無明長夜であると気づいたときは、同時に本願という大いなる灯炬があることにも気づいています。だからこそ「智眼くらしとかなしむな」と言えるのです。いまここが..
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光と闇
(6)光と闇
「無明長夜」でありながら「灯炬」があると言えるのは、「無明長夜」にせよ「灯炬」にせよ、それに気づいてはじめて存在するからであり、そして「無明長夜」であるという気づきと、大いなる「..
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無明長夜の灯炬
(5)無明長夜の灯炬
智慧を賜るというのは、光に照らされるということです。次の和讃はそれを詠います。
無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり1
智眼(ちげん)2くらしと..
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「われへの囚われ」を思い出す
(4)「われへの囚われ」を思い出す
そこで、信心とは「心の囚われに気づかせてもらうこと」であるというのを、信心は「これまですっかり忘れていた心の囚われをふと思いだすこと」と言い換えたらどうでし..
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アナムネーシス
(3)アナムネーシス
プラトンは、これまで知らなかったことを新しく知るというのはどういうことかを問題にします。これまでまったく知らなかったことを「あゝ、そうか」と新たに知るというのは、考えてみ..
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どこから、という問い
(2)どこから、という問い
信心とは「心の濁りが澄むこと」であるということを、これまでは「われへの囚われに気づくこと」として語ってきました。心の濁りとは「われへの囚われ」であり、心の濁りが澄む..
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信心の智慧
第5回 無明長夜の灯炬
(1)信心の智慧
次の和讃で信心は智慧であると詠われます。
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧1..
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このたびさとりをひらくべし
(8)このたびさとりをひらくべし
同じように、「このたびさとりをひらくべし」というなかには、「〈もうすぐ〉さとりをひらく」ことと、「さとりをひらくことが〈もうすでに〉決まっている」こと、そして..
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弥勒とおなじ
(7)弥勒とおなじ
もう一首読みましょう。
五十六億七千万1
弥勒菩薩2はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし(26)
注1 釈迦入..
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自力の相と他力の相
(6)自力の相と他力の相
自分が自力の相(われらが立ちあげているこの我執の世界です)から他力の相(本願力回向の世界)に入るためには、自力を遮断しなければなりませんが、それはできる相談ではありま..
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永遠といま
(5)永遠といま
「弥陀はわれらを摂取して捨てたまわず」と言うか、「われらは弥陀に摂取され捨てられず」と言うか。能動態で言うか、受動態で言うかの違いだけで、言っている中身は同じです。しかし、同..
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