記事 での「南北朝期の城郭」の検索結果 98件
金山城(静岡県伊豆の国市)
←北出城の堀切
金山城は、南北朝時代に畠山国清が築いた畠山三城の一つである。金山城の名は太平記での記載によるが、軍忠状や感状では神益(神餘)城と記載されており、本来の名は神益(神餘)城が正しい様で..
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修善寺城(静岡県伊豆市)
←主郭南側下方の石塁
修善寺城は、南北朝時代に畠山国清が築いた畠山三城の一つである。その経緯は金山城の項に記載する。修善寺城の名は太平記での記載によるが、軍忠状や感状では立野城と記載されており、本..
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三津城(静岡県伊豆の国市)
←眺望に優れた山頂の主郭
三津城は、南北朝時代に畠山国清が築いた畠山三城の一つである。その経緯は金山城の項に記載する。三津城の名は太平記での記載によるが、軍忠状や感状では三戸城と記載されており、本..
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清滝城(長野県長野市)
←主郭手前の堀切、上は主郭
清滝城は、奇妙山山頂に築かれた南北朝時代の山城である。鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政が始まって間もなくの1335年、鎌倉で自刃した最後の得宗北条高時の遺児、時行を擁して北..
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大光寺城(青森県平川市)
←新城南郭の堀跡
大光寺城は、新城・古館・小館・五日市館から成る平城である。発掘調査の結果、11世紀に築城されたことが判明している。その後、鎌倉時代の1217年、平賀郡岩楯に平広忠が地頭代として入..
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小瀬戸城(静岡県静岡市葵区)
←主郭手前の堀切
小瀬戸城は、南北朝時代に駿河南朝方の拠点、安倍城の支城であったと言われている。安倍城主狩野介貞長は後醍醐天皇の皇子宗良親王・興良親王を迎えて、北朝方の駿河守護今川範国に頑強に抵抗..
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久住砦(静岡県静岡市葵区)
←段曲輪の先のわずかな堀切
久住砦は、安倍城の出砦と考えられている。安倍城を築いた狩野介貞長は、本城の安倍城周辺に多くの城砦群を築いたが、久住砦もその一つと考えられている。しかし文献上は安倍城との..
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大津城(静岡県島田市)
←北郭の櫓台
大津城は、南北朝の動乱期に駿河南朝方の佐竹兵庫入道・中山三郎左衛門尉らが立て籠もった城である。佐竹・中山らは石塔義房の家人で、義房は足利一門であったが、直義方であった為、1350年に..
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千頭峯城(静岡県浜松市北区)
←南曲輪の横矢掛かりの囲郭
千頭峯城は、南北朝時代に遠江南朝方の柱石であった井伊氏の支城である。井伊氏は三岳城を本城とし、周囲に城砦群を築いて北朝の足利方に抵抗したが、千頭峯城は井伊氏の城砦群の内..
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田沢城(静岡県浜松市北区)
←山頂の三角点のある平場
田沢城は、天山城とも呼ばれ、三遠国境に築かれた井伊氏の城砦群の一つである。井伊氏の一族、田沢三郎兵衛直家の子、兵衛次郎直道が築いたと言われている。南北朝時代に、後醍醐天皇..
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三岳城(静岡県浜松市北区)
←一ノ城の枡形の石垣
三岳城は、南北朝時代に遠江南朝方の柱石であった井伊氏の本城である。井伊道政が、後醍醐天皇の皇子宗良親王をこの城に奉じて立て籠もり、南に鴨江城、北に田沢城、西に千頭峯城、東に大..
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大平城(静岡県浜松市浜北区)
←東曲輪群の堀切
大平城は、南北朝時代に遠江南朝方の柱石であった井伊氏の支城である。井伊氏は三岳城を本城とし、周囲に城砦群を築いて北朝の足利方に抵抗したが、大平城は井伊氏の城砦群の内、東方の防衛拠..
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