記事 での「中世崖端城」の検索結果 334件
有馬城(群馬県渋川市)
←主郭西側の空堀
有馬城は、歴史不詳の城である。榛名山東の中腹の標高282.1mの段丘先端部に築かれている。北東端に主郭を置き、西と南に空堀を穿ち、外周にニノ郭を廻らした縄張りとなっている。しかし..
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境野楯〔平城〕(宮城県仙台市)
←四ノ郭西端の大櫓台
境野楯(境野館)〔平城〕は、秋保郷の土豪秋保氏の支城である。永禄年間(1558~70年)に秋保勝盛の弟盛久がこの地に分封されて境野氏を称し、境野楯を築いたと伝えられる。戦国時..
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高野城(茨城県守谷市)
←公園内に残る土塁状地形
高野城は、今城(いまんじょ)とも呼ばれ、歴史不詳の城である。伝説では、938年に平将門は高野に興世王の分城を築き、「今城」(今造られた城という意味)と名付けたとされるが定..
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高井城(茨城県取手市)
←主郭の虎口
高井城は、千葉氏の庶流下総相馬氏の支城である。その創築は不明であるが、1336年、鎌倉府執事であった斯波家長により相馬親胤宛に発給された奉書に高井の地名が見えることから、既にこの時期..
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泊崎城(茨城県つくば市)
←船着き場への小道か?
泊崎城は、牛久城を本拠とする岡見氏を攻撃するため、多賀谷氏が築いた城である。戦国後期になると、佐竹氏と結んだ下妻城主多賀谷政経・重経父子は小田氏・岡見氏に対する攻撃を強め、..
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吉生砦(茨城県石岡市)
←主郭背後の横堀
吉生砦は、小田氏の重臣小幡入道道三が築いた砦の一つである。小幡氏は、常陸の名族小田氏麾下の12人の城持ち武将の一人と言われ、小幡宿に館(堀の内館)を構え、その周辺に手葉井砦・菅間..
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鳳凰台城(茨城県潮来市)
←城址の現況
鳳凰台城は、大生城とも呼ばれ、この地の国人領主大生氏の居城と伝えられている。伝承によれば大生氏は、桓武天皇の皇子葛原親王の流れを汲む一族ということで、多くの鹿行地域の豪族と同じく、大..
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額田城(茨城県那珂市)
←二ノ郭の大規模な横矢掛かり
額田城は、額田氏の歴代の居城である。額田氏には時期が異なる2流があり、最初のものをここでは前期額田氏、後のものを後期額田氏と称する。前期額田氏は佐竹氏の庶流で、鎌倉時..
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南酒出城(茨城県那珂市)
←主郭虎口の土橋
南酒出城は、佐竹氏の庶流南酒出氏の居城であったと言われている。鎌倉初期に、佐竹秀義の次男義茂が承久の乱での戦功により、この地を与えられて城を築き、南酒出氏を称したと言われている。..
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若栗城(茨城県つくば市)
←主郭の堀切
若栗城は、岡見氏の支城と伝えられている。岡見氏は牛久城を本拠とした国人領主で、若栗城も含めて17の城館を有していたとされる。若栗城は、岡見氏の重臣栗林義長が在城していたと言う伝承があ..
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豊後館(宮城県仙台市)
←川原石の石垣虎口
豊後館は、馬場館或いは豊後楯城とも呼ばれ、秋保氏の一族秋保(馬場)摂津守定重の居館である。定重は、秋保盛房の弟盛義の孫で、祖父盛義は馬場村に居住して上館城を居城とし、一名を馬場..
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根添館(宮城県仙台市)
←主郭西側の空堀
根添館は、前九年の役の際の安倍一族の支城と言われている。伝承では、源義家は安倍氏の激しい抵抗に遭い、坪沼の道内寺に本陣を敷いて、やっとのことで落城させたと言われる。
根添..
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