記事 での「中世崖端城」の検索結果 334件
小野崎城(茨城県常陸太田市)
←南斜面の腰曲輪
小野崎城は、佐竹氏の重臣となった小野崎氏の発祥の地である。小野崎氏の事績は櫛形城の項に記載する。初め鎮守府将軍藤原秀郷の6世の孫・通延が常陸国太田郷に移住し太田大夫と称した。その..
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今宮館(茨城県常陸太田市)
←櫓台の様な土壇
今宮館は、古くより今宮大納言坊館跡と伝えられる館である。館主は佐竹氏16代佐竹義瞬の庶長子永義と言われ、修験となって佐竹氏領内の山伏を統率したと現地標柱に記載されている。一方、『..
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島名城(群馬県高崎市)
←主郭後の現況
島名城は、応永年間(1394~1428年)に武蔵七党児玉党の一流、島名伊豆守によって築かれたと言われる。この時は北部の桜屋敷と呼ばれる郭を居館としていたと推測されている。戦国後期に..
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宮崎城(群馬県富岡市)
←背後の尾根の堀切・笹曲輪
宮崎城は、国峰城主小幡氏の支城である。本拠の国峰城に次ぐ重要支城であったと言われ、小幡氏は代々ここに子弟を置いて経済活動の中心としていたとされる。古書に「小幡氏の旗本宮..
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神保植松城(群馬県高崎市)
←南端の空堀跡と土塁
神保植松城は、辛科神社の神官であり神保館主であった神保氏の城であったと推測されている。神保館と同時期に並立していたのか、それともより要害性の高い神保植松城に居城を移していたの..
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稲荷城(群馬県東吾妻町)
←主郭西側の空堀と切岸
稲荷城は、吾妻氏の家臣大野新三郎の居城と伝えられている。吾妻氏は、承久の乱の時に四郎助光が宇治川で討死して没落し、実権は家臣の大野・塩谷・秋間の3氏の手に移り、大野氏はこの..
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多比良城(群馬県高崎市)
←主郭北側の堀切跡
多比良城は、新堀城とも呼ばれ、関東管領山内上杉氏の支城である。山内上杉氏の居城平井城の別城で、また南の一郷山城を要害城(詰城)とし、これらで別城一郭の構えを成していたとされる。..
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白倉城(群馬県甘楽町)
←麻場城の空堀と復元木橋
白倉城は、上野守護を兼帯した関東管領山内上杉氏の重臣であった白倉氏の居城である。白倉氏は、武蔵七党児玉党の流れを汲む国峰城主小幡氏の一族である。承久の乱で討死した白倉成季..
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蕨城(群馬県富岡市)
←二ノ郭の堀切
蕨城は、根古屋城とも呼ばれ、歴史不詳の城である。多比良城・仁井屋城・麻場城といった諸城砦と類似した構造であることから、これら諸城と同時代に築かれ、国峰城主小幡氏に属していたのではな..
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城の腰城(千葉県千葉市)
←大堀切
城の腰城は、歴史不詳の城である。伝承では、板倉筑後守が築城したと言われているが、筑後守は1638年の島原の乱で戦死した板倉内膳重昌の次男重直と比定されており、1639年にこの地を知行して..
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湯崎城(茨城県笠間市)
←空堀と北出曲輪
湯崎城は、宍戸城主宍戸氏の支城である。南北朝期の1344年に、宍戸安芸守朝里 (朝重)によって築かれたと言われるが、別説では鎌倉初期の1203年に築かれたともされる。どちらが正か..
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泉沢城(宮城県大崎市)
←主郭
泉沢城は、大崎氏の一族で大崎天文の内乱を起こした新田安芸頼遠の居城である。当主大崎義直の横暴に怒った頼遠は、1534年、中新田・高木・黒沢らの諸氏を誘って叛乱を起こした。これが大崎天文の内..
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