記事 での「中世崖端城」の検索結果 334件
頃藤城(茨城県大子町)
←主郭の堀切跡
頃藤城は、佐竹氏の庶流小川氏が築いた城である。一説には、時代不明であるが元々は山田右近大夫道定という武士の居城であったと伝えられている。その後、建治年間(1275~78年)に佐竹義..
タグ: 中世崖端城 常陸佐竹氏の城郭
孫根城(茨城県城里町)
←主郭の大土塁
孫根城は、佐竹氏の庶流大山氏の支城である。大山氏2代義道は、大山城を居城とし、孫根城を築いて多病であった長子義兼に孫根城を与え、義兼は以後孫根氏を称した。佐竹一族の内訌「山入の乱」..
タグ: 常陸佐竹氏の城郭 中世崖端城
石塚城(茨城県城里町)
←主郭の空堀
石塚城は、佐竹氏の庶流石塚氏の居城である。佐竹氏第10代義篤の次男宗義が、1362年に石塚郷に分封されて石塚氏を称し、石塚城を築いた。以後、戦国末期まで代々この地を統治してきたが、1..
タグ: 中世崖端城 常陸佐竹氏の城郭
古屋館(宮城県七ヶ宿町)
←主郭の土塁と空堀
古屋館は、伊達氏中興の英主と讃えられる儀山公伊達政宗が、出羽国長井庄(置賜地方)に侵攻した際、中継拠点として築き、この城館で越冬したと伝えられている城館である。伊達氏による置賜..
タグ: 中世崖端城 奥州伊達氏の城郭
犬飼城(栃木県宇都宮市)
←主郭の横矢櫓台と空堀
(2007年1月、2011年12月訪城)
犬飼城は、歴史不詳の城である。伝承では、1379年に祇園城主小山義政が築城したのが初めで、戦国後期には下野まで勢力を伸ばした小田..
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府中城(茨城県石岡市)
←外郭の切岸と堀跡の道路
(2015年7月訪城)
府中城は、常陸の名族大掾氏歴代の居城である。大掾氏は、平将門の伯父平国香が常陸国の大掾となって土着し、その子貞盛は天慶の乱の際に従兄弟の平将門を..
タグ: 中世崖端城 常陸大掾氏の城郭
下小池城(茨城県阿見町)
←主郭の横矢の張出し
下小池城は、歴史不詳の城である。久野城と同様、乙戸川沿いの河岸段丘上に築かれているが、この付近の河岸段丘は城郭密集地帯で、その中でも横矢掛かりなどが見られることから、小田原北..
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久野城(茨城県牛久市)
←三ノ郭下の枡形虎口
久野城は、江戸崎城主土岐氏の支城で、土岐氏の家臣野口式部の居城であったとも、或いは久野郷の領主土岐越前守の持ち城であったとも言われている。久野城は乙戸川沿いの河岸段丘上に築か..
タグ: 常陸土岐氏の城郭 中世崖端城
木原城(茨城県美浦村)
←主郭の空堀
木原城は、江戸崎城主土岐氏の支城である。城主は土岐氏の家臣近藤氏で、応永年間(1394~1428年)の頃に近藤利貞によって築かれたと言われている。以後近藤氏が代々城主を務めた。戦国時..
タグ: 中世崖端城 常陸土岐氏の城郭
吉田城(茨城県水戸市)
←常照寺前面の空堀
吉田城は、水戸城の支城である。平安後期に大掾繁幹の子吉田清幹が築城したと伝えられる。清幹の子・孫の系統からは、鹿島氏・行方氏など後に鹿行地域に広く蟠踞することになった大掾氏系の..
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見川城(茨城県水戸市)
←横矢の掛かる空堀
見川城は、水戸城主江戸氏の支城である。元々は、前の水戸城主であった馬場(大掾)資幹の4男、四郎長幹が見川城を築いて居城とし、箕川(見川)氏を称したと言われる。1426年に河和田..
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倉ヶ崎城(栃木県さくら市)
←ニノ郭の大堀切
(2006年12月訪城)
倉ヶ崎城は、喜連川城とも、或いは大蔵ヶ崎城とも呼ばれ、喜連川塩谷氏の居城である。喜連川塩谷氏は、川崎城を本拠とした川崎塩谷氏の傍流に当たり、1186年..
タグ: 中世崖端城 下野那須氏の城郭