記事 での「中世崖端城」の検索結果 334件
平塚城(東京都北区)
←切通し状の蝉坂
平塚城は、武蔵の豪族豊島氏の築いた城である。豊島氏は秩父氏の庶流で、秩父別当武基の弟か次男と考えられている武常がこの地を開発して豊島氏を称したと言われている。その子近義は平塚城を..
タグ: 中世崖端城 武蔵豊島氏の城郭
三宿塁(東京都世田谷区)
←城址南西にある三宿神社
三宿塁は、三宿城とも呼ばれ、この地の領主の城が築かれていたと伝えられている。その領主が誰であったかは不明であるが、比較的近年まで空堀の跡が残っていたと言う。室町時代には、..
タグ: 中世崖端城 武蔵吉良氏の城郭
深大寺城(東京都調布市)
←二ノ郭から見る主郭虎口と土塁
深大寺城は扇谷上杉氏が小田原北条氏に対して築いた城である。1524年、北条氏綱は扇谷上杉朝興の江戸城を攻略し、武蔵に重要な橋頭堡を得た。扇谷上杉氏は河越城まで後退し..
タグ: 中世崖端城 扇谷上杉氏の城郭
石倉城(群馬県前橋市)
←かつての外堀跡の道路
石倉城は、1485年に上野守護代の蒼海城主総社長尾忠房の嫡子憲景が築城した城である。憲景は1512年の新井城の戦いで戦死し、三男長景が城主となった。1563年、武田信玄が西..
タグ: 中世崖端城 甲斐武田氏の城郭
岡本城第2次発掘説明会
昨日(9/19)、宇都宮市北東の岡本城(市指定史跡)で発掘説明会があった。
今回は、新聞報道もされていたが、
「貼石」とされる石の遺構が主郭虎口内側に発見された。
2年前に来た岡本城であるが..
タグ: 中世崖端城 下野宇都宮氏の城郭 発掘説明会
倉賀野城(群馬県高崎市)
←住宅地の中に残る堀跡
倉賀野城は、武蔵七党児玉党に属する倉賀野氏の居城である。倉賀野氏は、治承年間に秩父三郎高俊がこの地に入部して倉賀野氏を称したのに始まり、南北朝時代に倉賀野頼行が倉賀野城を築..
タグ: 甲斐武田氏の城郭 武蔵七党 中世崖端城
瀬田城(東京都世田谷区)
←行善寺西側の断崖
瀬田城は、長崎館とも呼ばれ、長崎伊予守重光の築いた城である。重光は小田原北条氏の家臣で、天文年間(1532~54年)に功によってこの地に入部し、現在行善寺が置かれている丘の上に..
タグ: 小田原北条氏の城郭 中世崖端城
諏訪城(埼玉県秩父市)
←西郭の土塁と堀跡
諏訪城は、荒川と横瀬川の合流点の段丘上に築かれた城である。諏訪民部之進の居城と言われており、諏訪氏は鉢形城主北条氏邦の家臣であったと伝えられている。北条氏邦の筆頭家老で日尾城主..
タグ: 中世崖端城 小田原北条氏の城郭
宮崎城(埼玉県秩父市)
←空堀に掛かる土橋と主郭虎口
宮崎城は、宮崎砦、民部城、にんぷ、お城山とも呼ばれ、滑沢と荒川で囲まれた舌状台地に築かれた小さな城である。室町時代に築造され、黒沢民部の居城と言われ、鉢形城の支城であ..
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永田城(埼玉県秩父市)
←南側の土塁と空堀
永田城は、荒川左岸の舌状台地に築かれた城である。城の歴史ははっきりせず、伝承に拠れば永田林四郎の居城とも、また天正年間(1573~92年)の頃は諏訪七右衛門の居城であったとも、..
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下原城(埼玉県秩父市)
←屈曲する土塁と空堀
下原城は、金仙寺城とも言い、荒川右岸に築かれた城である。城主は橋久保大膳守とも大久保主馬とも言われているが定かではないと言う。
下原城は、荒川とその支流の押堀川の合流地点..
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今井城(東京都青梅市)
←主郭周囲の空堀
今井城は、歴史不詳の城である。わずかに今井四郎左衛門尉経家の子孫の宗家ら数代の者が伝領したが、天正年間(1573~92年)に断絶したと伝えるだけと言う。
今井城は、藤橋城..
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