記事 での「小田原北条氏の城郭」の検索結果 268件
杉山城(埼玉県嵐山町)
←大手から見る杉山城
曲輪が幾重にも重なり合う
杉山城は、松山城と鉢形城を結ぶ直線上のほぼ中間地点に位置する城である。その巧妙な縄張から、「中..
タグ: 山内上杉氏の城郭 小田原北条氏の城郭 中世平山城
高見城(埼玉県小川町)
←ニノ郭の枡形虎口
高見城は四津山城ともいい、四津山という比高100mほどの平坦な独立丘陵に築かれた山城である。築城年代と城主については不明な点が多いようだが、青山城主青山山城守氏久配下の石井九郎..
タグ: 中世山城 小田原北条氏の城郭 山内上杉氏の城郭
用土城(埼玉県寄居町)
用土城は、藤田康邦が築いて隠居した城である。北武蔵で大きな勢力を持っていた武蔵七党の一つ、猪俣党の一流の藤田氏は、時の当主藤田康邦が河越夜戦で大勝した小田原北条氏に服し、北条氏康の三男氏邦を養子..
タグ: 小田原北条氏の城郭 居館
虎ヶ岡城(埼玉県美里町)
←東曲輪から見る堀切と主郭
虎ヶ岡城は、円良田城ともいい、荒川北岸の陣見山系の東端の標高337mの通称「城山」に築かれた山城である。北条氏邦の家臣猪俣範直が築いたとも言うが、詳細は不明である。ここ..
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天神山城(埼玉県長瀞町)
←ニノ郭の石垣
天神山城は、長瀞町中心部の北方、ちょうど荒川が北から東へとその向きを変える部分の右岸の山上に築かれた山城である。武蔵七党の一つ、猪俣党に属する藤田康邦が天文年間に築いたと伝えられて..
タグ: 中世山城 小田原北条氏の城郭 武蔵藤田氏の城郭
菅谷館(埼玉県嵐山町)
←本郭虎口の土橋と櫓台
菅谷館は、畠山重忠ゆかりの城館である。鎌倉幕府の史書「吾妻鏡」によれば、1205年に重忠が幕府執権の北条氏に謀殺された武蔵二俣川の合戦の際、重忠は菅谷館から出発したと記され..
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青鳥城(埼玉県東松山市)
←二ノ郭の土塁遠景
青鳥城は、東松山台地の南縁部に立地する古い城である。平安末期には既に築かれていたらしく、「源平盛衰記」に源頼朝が1183年に青鳥野に陣を取ると見えると言う。築城者は定かではない..
タグ: 中世平城 小田原北条氏の城郭
松山城(埼玉県吉見町)
←二ノ丸周囲の堀
松山城は、北武蔵の戦略上の要衝である。築城時期には諸説あるが、おそらくは関東戦国の只中、古河公方足利成氏と扇谷上杉氏が対立している頃に築かれたと見るのが有力な様である。その後、扇..
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寄居要害山城(埼玉県寄居町)
←主郭と二の曲輪
寄居要害山城は、金尾山城とも呼ばれ、1532年に藤田左衛門佐重利(北条氏邦の養父、藤田康邦のこと)が築いたといわれている。城主は金尾弥兵衛で、鉢形城の西方及び後方の守りの支城とし..
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花園御岳城(埼玉県寄居町)
←主郭南側の横堀と土塁
花園御岳城は、花園城から北西に500~600mほどしか離れていない山頂に築かれた山城である。花園城の西側を防衛するために築かれたと言われている。それ以外、歴史も定かではない..
タグ: 中世山城 小田原北条氏の城郭 武蔵藤田氏の城郭
花園城(埼玉県寄居町)
←岩盤をぶち抜く堀切
花園城は、武蔵天神山城を本拠とする武蔵七党の一、猪俣党の別れ藤田氏の城である。一説には、北条氏邦の養父藤田康邦の居城であったともいう。河越夜戦で南関東の覇権を握った小田原北条..
タグ: 中世山城 小田原北条氏の城郭 武蔵藤田氏の城郭
鉢形城(埼玉県寄居町)
←笹曲輪から見る本曲輪
この冬の城巡りには、大きな目標が3つあった。そのうちの一つは、小田原北条氏の城を巡り歩くことだった。実は、これまで主要な北条系城郭には行ったことがなかったのだ。小田原城は昔..
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