記事 での「播磨赤松氏の城郭」の検索結果 12件
志方城(兵庫県加古川市)
←墓地に残る本丸土塁跡
志方城は、赤松氏の重臣櫛橋氏の居城である。櫛橋氏は伊朝を祖とするが、その出自には諸説あって明確にできない。櫛橋氏の名が現れるのは南北朝期で、観応の擾乱における摂津打出浜の合..
タグ: 播磨赤松氏の城郭 中世平城
城山城(兵庫県たつの市)
←主郭跡
城山(きのやま)城は、嘉吉の乱の際に赤松一族が最後を迎えた城である。中世城郭としての城山城は、1352年に赤松円心の3男で兄範資の死後に家督を継いだ赤松則祐が、本城の白旗城を守る外郭とし..
タグ: 中世山城 古代山城 播磨赤松氏の城郭
感状山城(兵庫県相生市)
←ニノ郭群前面の石垣
感状山城は、瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代の当地の豪族瓜生左衛門尉が築いたとも、南北朝時代の1336年に赤松円心の3男赤松則祐が築いたとも言われている山城である。この城がはっきり..
タグ: 播磨赤松氏の城郭 中世山城 南北朝期の城郭
龍野古城(兵庫県たつの市)
←豪快な竪堀
龍野古城は、単に龍野城とも、或いは鶏籠山城とも呼ばれ、1499年、播磨守護赤松氏の庶流で塩屋城主赤松政秀が、幼い村秀の為に築いた戦国期の山城である。その後、龍野赤松氏4代78年の歴代..
タグ: 中世山城 播磨赤松氏の城郭
置塩城(兵庫県姫路市)
←南西曲輪群の大石垣
置塩城は、1469年に播磨守護赤松政則が築いた大規模な山城である。赤松氏は、初代円心則村が足利尊氏に従って大功を挙げ、3代将軍足利義満が定めた武家の典礼では三管四職に名を連ね..
タグ: 播磨赤松氏の城郭 中世山城
書写坂本城(兵庫県姫路市)
←土塁と堀跡
書写坂本城は、室町時代に播磨守護赤松氏が築いた守護所である。坂本の地は交通の要所で、南北朝時代以来、足利尊氏を始め赤松満祐・山名宗全などの武将がこの地に陣を敷いた。城の創築は定かでは..
タグ: 中世平城 播磨赤松氏の城郭 南北朝期の城郭
中道子山城(兵庫県加古川市)
←搦手虎口の石積み
中道子山城は、播磨守護赤松氏の一族の居城である。その創築は、赤松円心の4男氏範によると言われている。氏範は、赤松一族ではただ一人終始南朝方に付いて奮戦したものの、後に北朝方に降..
タグ: 中世山城 播磨赤松氏の城郭
苔縄城(兵庫県上郡町)
←主郭
苔縄城は、元弘の乱の際に赤松円心が挙兵した城である。1333年、後醍醐天皇は既に隠岐に配流されていたが、後醍醐天皇の子の大塔宮護良親王は再び反幕の兵を挙げ、諸国の武士に挙兵を促す令旨を発し..
タグ: 中世山城 播磨赤松氏の城郭
白旗城(兵庫県上郡町)
←大手郭群に残る石垣
白旗城は、南北朝期に赤松円心が築いた山城である。築城は、1333年に大塔宮護良親王の令旨を受けて円心が挙兵した時とも、足利尊氏が九州に下り、播磨に残った円心が新田義貞の侵攻を..
タグ: 播磨赤松氏の城郭 中世山城
赤松円心館(兵庫県上郡町)
←館跡の土塁
赤松円心館は、播磨の守護大名赤松氏の祖赤松円心則村の館跡である。円心は、1331年から始まった元弘の乱の際に後醍醐天皇の子、大塔宮護良親王の令旨を受けて苔縄城で挙兵し、乱の最終段階で..
タグ: 播磨赤松氏の城郭 居館
福原城(兵庫県佐用町)
←空堀跡の道路
福原城は、佐用城とも呼ばれ、赤松氏の一族佐用兵庫介範家が建武年間(1334~38年)に築城したと伝えられる城である。範家は弓矢の名手で、元弘の乱の際、赤松円心の京都六波羅攻めに従い..
タグ: 中世崖端城 播磨赤松氏の城郭
上月城(兵庫県佐用町)
←背後の尾根筋の堀切
上月城は、尼子氏再興が潰え、尼子氏滅亡の城として知られている。元々は、鎌倉時代末期に上月次郎景盛が大平山に初めて城を築いたと言われている。その後本城を、谷を隔てた南の荒神山に..
タグ: 中世山城 出雲尼子氏の城郭 播磨赤松氏の城郭