記事 での「下野佐野氏の城郭」の検索結果 40件
梅沢城(栃木県栃木市)
←華蔵寺脇に残る土塁
梅沢城は、梅沢館とも呼ばれ、佐野氏の武将で鍋山衆の一人、梅沢石見守義久の居城である。歴史は定かではないが、不摩城・藤沢城と相呼応する拠点であったと思われる。
梅沢城は、華..
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藤沢城 その1(栃木県栃木市)
←主郭土塁上の祠
藤沢城は、鍋山城とも呼ばれ、佐野氏の支城である。永野川を挟んで対岸の不摩城と呼応して、永野川流域を扼す要地であったと思われる。佐野氏の家臣小曾戸政忠が築いた城らしい。小曾戸氏は島..
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大塚城(栃木県鹿沼市)
←三ノ郭背後の大堀切
大塚城は、佐野氏の支城の一つで、元亀・天正の頃(1570~92年)に、佐野氏の家臣大塚信濃守綱利が築いたと言われている。それ以外の詳細は不明であるが、城主後裔の大塚家には、佐..
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粟野城(栃木県鹿沼市)
←山頂物見曲輪北尾根の堀切
粟野城は、佐野氏が築いたとされる山城である。南北朝期の1338年、佐野氏の家臣平野将監範久が築城し、粟野・粕尾・南摩を領した。戦国後期の1575年になると、皆川城主皆川..
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アド山城(栃木県佐野市)
←主郭と堀切
アド山城(阿土山城)は、葛生市街北方のアド山に築かれた山城である。カナカナ表記の珍しい山であるが、元々は阿土山と書くらしい。おそらく明治期に陸軍が初めて全国の測量地図を完成させた時に..
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不摩城(栃木県栃木市)
←腰曲輪を分断する竪堀
不摩城は、秋葉城とも言い、藤姓足利氏によって築かれた山城である。1167年に足利有綱が唐沢山城の北の護りとして築いたとされる。城の東方を流れる永野川の東岸山麓に築かれた支城..
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椿田城(栃木県佐野市)
←堀跡
椿田城は1560年に福地寧久が唐沢山城の支城として築いた平城である。河越城や忍城、館林城などの小田原北条氏に対する押さえの役目を負っていた。福地氏は16代の仲久のとき佐野盛綱に客将として招..
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唐沢山城 その2(栃木県佐野市)
←巧妙な虎口遺構(本城南東)
新年の再訪城郭第3弾は唐沢山城である。正確には再々訪になる。masakiさんの主催する「栃木県の中世城郭」というサイトに山麓等の遺構に関する詳細な学術的研究報告が載っ..
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赤見城(栃木県佐野市)
←主郭西側の重厚な二重土塁
(2005年11月訪城)
赤見城は、佐野市街の西北方にある。藤姓足利氏の足利俊綱が最初に築いたと言われる。その後、藤姓足利氏が没落した後、建久元年(1190年)戸賀崎..
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阿曽沼城(栃木県佐野市)
←八幡宮境内裏の堀跡
(2005年11月訪城)
阿曽沼城は、佐野市内の浅沼八幡宮境内一帯が城域とされる。もちろん、「浅沼」とは「阿曽沼」が転訛したものであろう。この地を本拠とした阿曽沼氏は、藤姓..
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佐野城(栃木県佐野市)
←堀切跡
(2005年11月訪城)
佐野城は、春日岡城ともいい、佐野氏が築いた近世平山城である。もともと佐野氏は天険の要害をなす唐沢山城を本拠としていたが、1602年に徳川家康から唐沢山城を廃す..
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清水城(栃木県佐野市)
←本丸の土塁と堀跡
(2005年11月訪城)
清水城は、現在は興聖寺という寺の境内になっている。よくある方形居館跡と思ったが、文献によれば江戸中期頃の古絵図に、複郭式で水濠で囲まれていたと描かれ..
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