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タグ検索トップ  >  記事  /  植島 啓司
記事 での「植島 啓司」の検索結果 12
奥駈修験道
 紀伊は木の国、山の国。 この半島を旅する者はみな、重畳と波打つ山々のはてしのない連なりに驚き、森の深さに気圧(けお)される。 だが、見晴るかす緑の山並みに目をこらすと、そのほとんどがスギ、ヒノキの人..
タグ: 植島 啓司 加藤 則芳
一遍と熊野
南北朝以降、熊野信仰を全国に伝えたのは神道でも修験道でもなく、一遍が始めた時宗という仏教の一派だった。そこにもミスティシズムがかかわっている。一遍の熊野における覚醒体験というか夢のお告げがなければ..
タグ: 植島 啓司
熊野
 熊野には古代の歴史からはみ出てしまうものがいくらでもころがっている。しかも、それならそれで熊野はつねに歴史の外側にあったのかと思えば、それがまったく逆で、もっとも重要な場面になるとたちまち歴史の表面..
タグ: 植島 啓司
天川大弁財天社
鎌田東二は以下のように推測している。「開山の役行者は大峰山寺のある山上ヶ岳において厳しい修業に励んでいた折、最初に弁財天女を感応し、それを天河の地に祀ったという。この伝承の意味するところは、役行者が一..
タグ: 植島 啓司
滝ノ口
そもそも「滝ノ口」とは何かということになるのだが、その背景に水神(水分(みくまり))信仰があることはまちがいないように思われる。「竜(龍)」という語はその一つの表れではないか。久保田展弘は次のように書..
タグ: 植島 啓司
現場に行って感じる
P35 しばしば経験してきたことだが、その場に入るだけで一瞬にして空気が変わってしまうことがある。沖縄本島や宮古島の御嶽(うたき)とよく似た感覚が甦ってくる。ご神体は磐座(いわくら)といっても、ただの..
タグ: 司馬 遼太郎 赤尾道宗心得21箇条 植島 啓司
神と仏の共存と神仏分離
 私は、真言密教の日本の思想に対するもっとも大きな影響は、真言密教によって神と仏が一体となったことであると思う。六世紀半ばに移入された仏教は従来の日本の神道とトラブルを起こし、その結果、蘇我・物部の戦..
タグ: 梅原 猛 重松 敏美 望月 信成 植島 啓司
神道の聖域
 もともと聖域のシンボルとして以下のような区分けが考えられる。(上田正昭「神道の聖域」「仏教」no.32(特集=聖域)、法蔵館、一九九五年、三八頁。)①神籬(ひもろぎ)②磐座(いわくら)③磐境(いわさ..
タグ: 植島 啓司
神道
    神道というのは宗教じゃないですからね。日本の古来からのものの考え方、生活習慣といったものでしょう。それを戦後無理やりに宗教法人にしたから、これがまた間違いのもとなんです。別に宗教でもなんでもな..
タグ: 葉室 頼昭 山折 哲雄 植島 啓司
文明と災害
寺田寅彦は、「文明が進めば進むほど天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」(「天災と国防」昭和九年一一月、「寺田寅彦全集第7巻」所収、岩波書店)と書いている。文明の進展とともに世の中が一様化され集..
タグ: 東日本大震災 多田 富雄 寺田寅彦 池内 了 吉村 昭 植島 啓司
ギリシアの神々と日本の神々
 ギリシアの神話と日本神話―従って、我々の昔話―との類似は、単にひとつのモチーフの共通性ということではなく、実はその根本的な構造において一致点をもっている。 それは、男性神の暴行によって、大女神..
タグ: 河合 隼雄 山折 哲雄 ギリシャ神話 小林 朋道 植島 啓司
阿蘇信仰
「隋書倭国伝」をひらけば、六世紀すでに阿蘇信仰が遠く大陸まで知られていたのがわかっている。そこには次のような描写が見られる。(熊野文化企画編「今昔・熊野の百景」はる書房、二〇〇一年。)  阿蘇山あり。..
タグ: 植島 啓司