記事 での「富国強兵」の検索結果 89件
2対1(1)
ホレリス式統計会計機械装置がカスタマーを失ったとき、パワーズ式PCSはどうだったか。
意外なことにパワース式PCS、すなわち三井物産のカスタマーは減らなかった。
タグ: 黒澤商店 未剖篇 富国強兵 パワーズ式 IBM
意気揚々(3)
1928年(昭和三)の秋、黒澤商店に暁星中学を出た一人の若者が入社してきた。
暁星中学といえば、1888年(明治二十一)8月に麹町区飯田町(現千代田区飯田橋)に開校を許可された私立学校で、その始..
タグ: 未剖篇 富国強兵 黒澤商店 北川宗助 水品浩
意気揚々(2)
契約が1件取れれば年間数千円の賃貸料が入ってくるうえ、消耗品であるパンチカードが間違いなく売れるのだから、これほど旨味のある商売はなかった。であればこそ黒澤は営業課長に据えた水品に裁量を任せることが..
タグ: 富国強兵 未剖篇 黒澤商店
意気揚々(1)
森村商事からホレリス式統計会計機械装置の営業権を継続した黒澤商店は、最初の年、つまり1927年から実績を上げ始めた。まずこの年の9月に海軍の呉造船所総務部、10月に同造船所会計部が相次いで契約を結ん..
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世代交代(3)
中華民国でも世代の交代をきっかけに政局が動いていた。
1925年1月12日、孫文が北京で没した。享年59。
広東省に生まれ、日本に留学して医者となった。ときの清王朝は有名無実に化し、中国は西..
タグ: 未剖篇 富国強兵
世代交代(2)
計算機から眼を転じて、社会を眺めることにする。
景気は好・不況を繰り返しつつ、下降する傾向を示していた。政治は明治以来の露骨な藩閥偏重が終焉して「民」主体の政党が政権を担ったが、次第に「軍」主導..
タグ: 未剖篇 富国強兵
世代交代(1)
黒澤商店がホレリス式統計会計機械装置を扱った1927年から1937年にかけての世相を概観しておきたい。
計算機の普及や利用技術を主軸にすえる本書からすると、この期間は、
――まことに奇妙な時..
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黒澤村(4)
〈プレトマイヤー〉
1926年12月、CTR社――正確に言えば、その2年前、CTR社は「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ」に社名を変更していた――の副社長プレトマイヤーが来日すると、..
タグ: 森村市左衛門 黒澤貞次郎 未剖篇 富国強兵
黒澤村(3)
〈新工場〉
震災からほどなく、日本銀行を窓口に1億円規模の「震災手形割引損失補償」が実施され、また周囲の励ましもあって、黒澤は再起を決意した。従業員総出で銀座の本社ビルを清掃し、内装を改め、..
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黒澤村(2)
〈八城勘二〉
黒澤は1909年(明治四十二)、東京・銀座の松屋デパート前に鉄筋コンクリート造・3階建ての、当時としては斬新なオフィスビルを自ら設計・施工して完成させている。「黒澤貞次郎商店」の..
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黒澤村(1)
〈高峰譲吉〉
この黒澤という人物は高峰譲吉とも親交があった。
高峰は消化酵素「タカジアスターゼ」、“興奮ホルモン”とも呼ばれる副腎髄質ホルモン「アドレナリン」などの発見で知られる。あるいは..
タグ: 未剖篇 富国強兵 黒澤貞次郎
水品と岩田(4)
〈キーパンチャー〉
余談だが、コンピュータないし情報システムの担当者が、「技術者」であると認識されたのは1970年以後である。岩田から以後、日本の企業で計算機を動かし、システムを作ったのは、..
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