『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~23) [コラボレート]
( 初めまして mama-witch です。)
ここは、現在公開中の23の『写真+詩』をガイドする、いわば目次のページです。以下に紹介してあるタイトルをクリックすれば、それぞれの詩のページに入れるようになっていますので、興味のある方はどうぞお立ち寄りを。
詩にはどうもなじめない、とおっしゃるあなた、ここでは、あなたや私の、人間としての悩みや日々の生き様を、写真+詩と云う形で表現してあります。だからこれらの詩の中には、もしかしたら、" あなた自身の今 "、が見つかるかも知れません。
写真は、so-net で1、2を争う人気ブログ当主の方々の作品の中から、テーマにふさわしい絶品作品をお借りしましたので、ご覧になる皆様は、私の拙い詩と共に、四季折々の素晴らしいフォト・アートを楽しめるというわけです。
一度の訪問で2度楽しめる、美味しいページを ぜひ一度お試しを。
なお、コラボレートしている方々のブログネームとURLは各作品ページごとにご紹介し、それぞれの詩作の背景にも少し触れてあります。また各タイトルにはリンクを張ってありますので、クリックしていただければ、すぐに入れます。
(その他の記事もあります。下記は目次のページです。それぞれリンクを貼ってありますので、興味のある方は、クリックしてお入りください)
※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。
★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。
※受賞した童話作品の案内ページです。それぞれ10枚前後の小作品ですので、興味のある方はお気軽にどうぞ。
(photo by baldheadさん「お空+おまけ」のカテゴリーより アネモネ)
ここは、コラボレート写真詩それぞれのタイトルと詩の冒頭部分を少々切り取ってご紹介する目次ページです。
コラボレートしていただいている『ドン亀日記』のドン亀さん、『季節の移ろいを肌で感じています』のbaldhead さん、『気ままにブログ』のsilvermacさんそれぞれのトレードマークとURLも、あわせてご紹介させていただきますので、私のブログを経て、どうぞ一度訪問されることをお奨めいたします。
<トピックス!>
『詩』をヴィジュアル化する、と云う全く新しい形のプレゼンテーション方法で 詩を見る実験を始めました。これは「読む」というより 『観る』 という形で詩を楽しむ方法です。文字で読む私のページと、映像と共に楽しむ詩と、両方を見比べてみるのも一興です。
実験室は、ドン亀さんのブログのサイドバーの中。場所はカレンダーの下。「コラボレート写真詩」のURLをクリックすれば入れます。
制作にかなり時間がかかりますので、現在はまだ4つしか出来上がっていませんが、ぜひ一度ご覧になって、感想をお聞かせいただければ幸いです。 詩を『観る』実験に、ぜひあなたもご参加ください。
ドン亀さんのURL http://blog.so-net.ne.jp/trout/ (『ドン亀日記』)
↓<現在掲載中の実験詩のタイトル>
1. 「ノスタルジー」
2. 「桜散る路地」
3. 「はるのこども」
4. 「影」
<詩のタイトルと冒頭部分の紹介>
NEW!
4/26 公開 コラボレート写真詩23 『はつこひ』
(冒頭部分) ひざしのなかにたつひとは うすべにいろのはるのゆめ
あまりにあはき はかなさに・・・・・・
旧仮名遣いは読みにくいかもしれませんが、この詩に関しては、どうしてもこの形をとりたかったので、あえて挑戦してみました。詩作の背景は作品下部に書きましたので、そちらもあわせてご覧になってください。でも一にsilvermacさんの、この上もなく美しく、愛らしい花の写真があってこそ生まれた詩、だと言えます。この詩は、当初漢字遣いで書きましたが、どうにも気持ちが一致せず、十数度の書き直しを経て、やっとこの形に落ち着きました。みなさまの忌憚なきご意見を聞かせていただけると幸いです。
4/26 公開 コラボレート写真詩22 『はぐれてみる』
(冒頭部分) ある朝 道ばたに ひとり咲く おまえを みつけた
野を覆う にぎやかな仲間から離れて
ひとり のんびり空を見ている おまえは
なにを考えているのか‥‥
仲間たちから「はぐれる」のは心もとなく、寂しいものです。でも、時には自分の意思で、いつもの仲間やいつもの生き方から、ほんの少し、『はぐれてみる』のも悪くないのではないか。silvermac さんのブログの中で、群れから離れて咲く一輪の蓮華草に出会ったとき、こうした思いが胸に浮かびました。日々を、群れて生きざるを得ない私たちの背中を、自然はときどき、そっと押してくれるようです。
4/22公開 コラボレート写真詩21 『水のゆくえ』
(冒頭部分) 橋のない川の 岸辺で とりとめのない時間をすごした
水のなかで ゆるい陽ざしが やわらかくわらっている
平和なある午後のこと‥‥
ドン亀さんから今回お借りしたのは「安曇野湧水群」の清流写真。ご存知の方が多いかと思いますが、この風景、実は黒澤明監督の作品『夢』の中で、水車の回る美しい水辺の風景として、使われています。
この水辺を、亡くなられた名優の笠智衆さんが、祭りの衣装に身を包み、楽しそうに太鼓を叩きながら、「生きているということは、ええもんじゃよ」といわれた、あの名口調を思い出します。信州にやっと春がやってきました。
4/15公開 コラボレート写真詩⑳「オルフェの月」
(冒頭部分) ふり返ってはいけない
それでもふり返らずにはいられなかった
それはオルフェの罪だろうか‥‥
★この写真詩は、ギリシア神話「オルフェとユリディス」の物語に着想を得て創った作品です。死んだ妻を追って黄泉の国にたどりつき、やっとユリディスを取り返したものの、悪魔に約束をさせられます。地上に帰り着くまで、決して妻をふり返ってはならぬ、と。二人の乗った船はゆっくりと黄泉の国の出口に向かいますが、オルフェは、あまりにも静かな妻の気配に耐え切れず、水鏡に映る妻を、ついついふり返ってしまうのです。一度は取り返した愛するユリディスを、再び失ってしまうオルフェ。その姿は、よるべない人生をふり返り、ふり返り生きていくわたしたちの人生に似ていると‥‥。
番外編 別れの詩 『桜雨』→ 桜咲く日 友が逝った 物書く友だった‥‥
☆生き急いで逝った友人への個人的鎮魂歌です。
生ききらないうちに亡くなった友へ、哀悼の気持ちで書いた、全くプライベートなつぶやきです。まだ50 代。油が乗り切って、さあこれから、というときに逝ってしまうとは、惜しんで余りある才能の持ち主でした。名前を言えば、多分皆さんご存知の、ゲーム・ライターです。彼が残した作品は、今も市場の人気商品。作者は亡くなっても、作品は残って一人歩きしている。それが作家の宿命なのかも知れません。
彼は、私のかつてのシナリオの師匠。その後、ゲーム制作の世界に入り、ゲームライターとして活躍されました。彼の代表作品は『鬼武者』、そして『バイオハザードⅡ』です。2005年2月20日、心筋梗塞により逝去されました。享年56歳。
①「四月の雨」→ 枝から落ちるひとしずくの雨に 心を切り裂かれることがある‥‥
☆小枝に、バラの葉の葉先に、小さく光る一粒の水のしずく。その透明な丸い鏡に映るさまざまな風景。そんな小さな世界に宿る想いを詩に込めてみました。四月の雨の詩(うた)です。
②「野の花たちへ」→風が和らぎ 土が目覚めた 気づくものたちに春は微笑みかける‥‥
☆オキナ草、ワサビの花、見たことあります? 小さな野の花たちが教えてくれる春の訪れは、幸せの意味についてほんの少し、考えさせてくれるような気がするのです。
③「春のノート」→若いころの思い出は なぜかみんな 小さなかけらで できている‥
☆過ぎていった日々はもう取り返せない。でもその日々の名残のあれこれが、大人になっても捨てきれない‥‥。こうした思い出のかけらたちは、いったいどう始末すればいいんでしょう。
④「旅に出る君へ」→君が 町を出ると聞いた‥‥
☆春は別れの季節。友の旅立ちに伝えたいことはただひとつ。大丈夫、私たちはいつもあなたのそばにいる、そしていつも信じているから。春は人の気持ちを優しくする季節のようです。
⑤「花嫁」→白いモクレンが咲いたら あたしお嫁にいくの‥‥
☆都会でひとり暮らすあなた。誰にも言わない、言えないその胸の内には、一体どれほどの想いを抱えているのでしょう。人はみな一人では生きられない。なのにひとりで生きていかなければならない‥そう、誰かに、ほんとうに出会うまでは‥。
⑥「風が止むとき」→私はときどき 自分が見えなくなる‥‥
☆自分の迷いを、自分でどうすることも出来なくなったとき、一体どうすればいいのでしょう。大人になろうと背伸びをして、疲れきって‥そういう時、方法はきっとひとつしかないような気がするのです。
⑦ 「時の止まる場所」→命を奪うほどの風が いつも吹いている場所を‥‥
☆高い山を目指す人は、いつも何を求めているのでしょう。一人で雲海の前に立って、一体どんなことを見聞きして帰ってくるのでしょう。その山に、私もいつか、登れるでしょうか‥。
⑧ 「風を聴く」→山に入ると 自分の体から 少しづつ ニンゲンというものが
剥(は)がれ落ちて いくような気がする‥‥
☆人間が、自分を人間だと感じるのは、自分の無力さを始めて知ったとき、ではないでしょうか。孤独と云う感覚こそ、人間が持つ最も人間らしい感覚だと思うのです。だから人は、山深く入っていくのかもしれない。自分が人間だということを確かめるために。
⑨「月の秘密」→恋をするとき 人は どうして 月を見上げるのだろう‥‥
☆誰かを好きになると、人は本当にどうして無防備になるのでしょう。老人は少年のようにはにかみ、少年は老人のように考え深くなる。そして誰もが無邪気に、「今」を信じてしまうのです。
⑩「空」→ ああ そうだ 旅に出よう 空を見て ふと そう思った‥‥
☆人が作った街。人が作った山。人が作った川。人が作り出す音の中で、人は自分という人を忘れてしまう。あまりにも当たり前すぎる毎日が続くと、人は「いつもそこにある何か」に、気づかなくなってしまうのではないでしょうか。
⑪「大人になる日」→沈みきった太陽のむこうに まだ光が残っている空は‥‥
☆人は、いつから子どもではなくなるのでしょう。いつから、自分はもう子どもではないと、思いはじめるのでしょう。恋はほんとうに、人を成長させるのかしら‥。
⑫「落陽」→まだ 人生と云うものを 知らなかったころ‥‥
☆いま、走り始めた人、全力疾走している人、ふと立ち止まった人、じっとたたずんでいる人、走ることをやめた人、もう走れなくなった人‥‥そんな人たちが最後に気づくものについて。
⑬「子どもの時間」→足の下を しゃらしゃらと 海が流れてゆく‥‥
☆足の下を流れていくのは、人生?苦しいこと、哀しいこと、楽しかったあれこれ、人生には数え切れないほどの出来事があったはずなのに、振り返ると覚えているのは無邪気な時間‥。
⑭「ノスタルジー」→ノスタルジー それは自分への旅‥‥
☆思い出の中の懐かしい時間は、どうしていつも、陽射しの中で輝いているのでしょう。明るくてまぶしいそんな時間が、いつも人を支えていてくれるのかもしれません。
⑮「極彩色の思い出」→見世物小屋には 大人の匂いが満ちていた‥‥
☆大人が大人に見えた日。それは大人の秘密に触れたとき。大人たちの、大人にしかわからない時間の中に迷い込んでしまったとき、子どもはどきどきしながら、自分もなんだか少し大人になったような気になるのです。
⑯「影」→昨日と同じ 今日を 終わって いつもの道を‥‥
☆毎日が、まるで判を押したように単調で退屈だと思うときがあって。でもそんなとき、実はどんなことも同じものなど何ひとつ無いんだということに気づいたことがあります。仕事がたまたま早く終わり、夜遊びせずまっすぐ帰宅、の夕方の帰り道、いつもの電柱の長く長く伸びた影を見たときなど‥。
⑰「桜散る路地」→花びらに誘われて 見知らぬ路地に迷い込んだ‥‥
☆大人になってから、迷子になったことがありますか? この詩は「近所」という呼び方で、知り尽くしていたつもりだった場所を、本当はほんのわずかしか知らなかったことに気づかされたある日のできごとです。
⑱「春の石」→冬寒の風の中に 暖かな石が立っていた‥‥
☆都会では見かけることなど出来ない神の石。でも実は、ほんの百年ちょっと前には、日本中どこにでも、人を見守り、導く、こうした神の石が点在していたのです。長い時間をかけてそれを造った人の思いを、体いっぱいに見せて。だから人はごく自然に、感謝の手を合わせたのでしょうね。
⑲「はるのこども」→おかあさん これ なあに これはね‥‥
☆冷たい雪の中からひょっこりと顔を現す、愛嬌たっぷりの福寿草。でも始めてそれを見た子どもは、いそいでお母さんに、こんな風に聞くのでしょうか。 その質問は、子どもが世界に興味を持ち始めるはじまりかも‥。
4/14 公開 コラボレート写 真詩⑳ 『オルフェの月』
人は時折、人の心を変えてしまうような神秘に出会うことがあります。私にとって、月はその最たるものです。人にとって「眠る」ということは、一種の一時的仮死状態。そのかりそめの死の中で、人は、いつもと違う夢を見るようです。
4/22公開 コラボレート写真詩21 『水のゆくえ』
ドン亀さんから今回お借りしたのは「安曇野湧水群」の清流写真。ご存知の方が多いかと思いますが、この風景、実は黒澤明監督の作品『夢』の中で、水車の回る美しい水辺の風景として、使われています。
この水辺を、亡くなられた名優の笠智衆さんが、祭りの衣装に身を包み、らっせーらっせ、と楽しそうに太鼓を叩きながら、「生きているということは、ほんとにええもんじゃよ」といわれた、あの名口調を思い出します。信州にやっと春がやってきました。
4/24公開 コラボレート写真詩22 『はぐれてみる』
仲間たちから「はぐれる」のは心もとなく、寂しいものです。でも、時には自分の意思で、いつもの仲間やいつもの生き方から、ほんの少し、『はぐれてみる』のも悪くないのではないでしょうか。silvermac さんのブログの中で、群れから離れて咲く一輪の蓮華草に出会ったとき、こうした思いが胸に浮かびました。日々を、群れて生きざるを得ない私たちの背中を、自然はときどき、そっと押してくれることがあるものです。
4/26 公開 コラボレート写真詩23 『はつこひ』
旧仮名遣いは読みにくいかもしれませんが、この詩に関しては、どうしてもこの形をとりたかったので、あえて挑戦してみました。詩作の背景は作品下部に書きましたので、そちらもあわせてご覧になってください。でも一にsilvermacさんの、この上もなく美しく、愛らしい花の写真があってこそ生まれた詩、だと言えます。この詩は、当初漢字遣いで書きましたが、どうにも気持ちが一致せず、十数度の書き直しを経て、やっとこの形に落ち着きました。みなさまの忌憚なきご意見を聞かせていただけると幸いです。
番外編 写真詞 『しあわせな日曜日』 これは詩ではなく、歌詞です。
☆一、信号が青に変わり ぼくは道をわたる‥‥
<コラボレート・パートナーのご紹介>
←ドン亀さんのプロフィール http://blog.so-net.ne.jp/trout/ (『ドン亀日記』)
←baldhead さんのプロフィール http://blog.so-net.ne.jp/hage1010/(『季節の移ろいを肌で感じています』)
←silvermacさんのプロフィールhttp://blog.so-net.ne.jp/ryofu/(『気ままにブログ』)
(その他の記事はこちら。リンクを貼ってありますのでクリックしてお入りください)
※これまでの公開記事のダイジェストガイドです。目次としてご覧ください。
★『写真+詩で季節を詩う』(ダイジェストガイド ①~21)
★『受賞童話作品』とダイジェストガイドをどうぞ。
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