タグ検索    

記事 画像
タグ検索トップ  >  記事  /  武蔵国分寺
記事 での「武蔵国分寺」の検索結果 60
24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える
Ⅴ.もうひとつの七重の塔 24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える 版築土中から瓦が出てきたり、再建期の土器が出てきたり、数少ない出土品は、草創期の遺構である可能性を低めるもの..
タグ: 武蔵国分寺 もうひとつの七重の塔 断念 草創期 再建期
23.もうひとつの七重の塔が出てきた!
Ⅴ.もうひとつの七重の塔 23.もうひとつの七重の塔が出てきた! 七重の塔は国分寺建立の詔(741年)から20年ほどで完成、835年、神火(落雷)により焼失、その10年後(845年)に..
タグ: 武蔵国分寺 もうひとつの七重の塔 塔跡2 再建 定説
22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか?
Ⅳ.尼寺の位置をめぐって 22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか? 武蔵国分尼寺が医療・福祉施設の機能を担って、悲田処や施薬処などの付属施設を併設していたとすれば、その用地はおそ..
タグ: 尼寺 悲田処 滅罪の寺 武蔵国分寺 医療・福祉施設 施薬処
21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈
Ⅳ.尼寺の位置をめぐって 21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈 「草創期において、まず塔中心の区割り(古寺院区画)が計画され早くから着手されたが、その後、金堂中心の考え方に変わり計..
タグ: 武蔵国分寺 国分寺市教育委員会 塔中心 金堂中心 国分寺建立の詔 古寺院地区画溝
20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか?
Ⅳ.尼寺の位置をめぐって 20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか? 「古寺院地区画」が天平13年(741年)2月の国分寺建立の詔を受けて、尼寺とセットでの計画を前提とした..
タグ: 武蔵国分寺 尼寺の位置 740年6月七重塔建立の勅命 古寺院区画 741年2月国分寺建立の詔
19.尼寺伽藍地の不思議なかたち
Ⅳ.尼寺の位置をめぐって 19.尼寺伽藍地の不思議なかたち 200m四方ほどの尼寺伽藍地は、辺と中軸線の方向がことごとくチグハグしている。創建時は基壇を持たない仮設的な金堂が建てられ、..
タグ: 中軸線の不整合 武蔵国分寺 尼寺の位置
18.尼寺の場所は浸水危険地帯では?
Ⅳ.尼寺の位置をめぐって 18.尼寺の場所は浸水危険地帯では? かねがね不思議に思っていたことがある。尼寺の北側と北西側は土地が低く湧水に覆われた沼地のような場所だったはずだ。北西の湧..
タグ: 武蔵国分寺 尼寺 浸水危険地帯 黒鐘公園 谷地形
17.参道口からの眺めをイメ-ジする
Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置 17.参道口からの眺めをイメ-ジする 朱塗りの南大門へまっすぐ延びる道の先に堂々たる金堂の大屋根。右30度前方には天に伸びる七層のタワ-。左手..
タグ: 武蔵国分寺 区割り 配置 参道口 天然の好処 国分寺崖線 測量技術 歴史的景観
16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する
Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置 16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する 僧寺金堂から北辺の溝までの距離 ≑ 僧寺金堂から南辺の溝までの距離 僧寺金堂から寺院地南..
タグ: 配置 武蔵国分寺 計画変更 区割り
15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ)
Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置 15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ) 最終的に僧寺中枢部は東山道寄りに建設され、東山道の西側に尼寺が建設された。これにともない、古寺..
タグ: 計画変更 武蔵国分寺
14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる
Ⅱ.草創期の区割りと配置 14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる ①オレンジ:塔と真姿の池湧水を結ぶ中軸線(東偏1度)上に金堂・講堂を並べた配置図 ②水色:塔と真姿の池..
タグ: 武蔵国分寺 区割り 配置 中軸線 大衆院 政所院 景観 デザイン 崖線景観
13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する
Ⅱ.草創期の区割りと配置 13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する 塔から「I」への方位ラインを四等分し、塔側から四分の一のところに中軸線が交わるように、また、傾きは東西の辺と平行(つ..
タグ: 武蔵国分寺 区割り 配置 古寺院区画 中軸線
前のページへ 1 2 3 4 5 次のページへ