記事 での「墓所」の検索結果 58件
篠原古戦場(石川県加賀市)
(2004年5月訪問)
篠原古戦場は、加賀の柴山潟付近において、1183年に戦われた源平の古い古戦場である。倶利伽羅峠の戦いで大敗した平家軍は、加賀平野を南下して篠原の地で体勢を立て直し、木曽..
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鮭延秀綱墓(茨城県古河市)
鮭延越前守秀綱は、出羽の戦国大名最上義光の家臣で、鮭延城を居城としていた。武略に長けた名将として知られ、東北の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦においては、長谷堂城の戦いで直江山城守兼続率いる上杉方の..
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伝伊達政宗墓(福島県伊達市)
伊達氏9代大膳太夫政宗(儀山公)は、伊達氏中興の祖と呼ばれ、戦国末期に彗星の様に現れて奥州を席巻した独眼龍政宗(貞山公)の先祖である。その勢威を以って鎌倉公方足利満兼に抗して兵を挙げ、降伏してか..
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今川氏累代墓(東京都杉並区)
杉並区の一角、かつて太田道灌が陣を敷いた陣幕と呼ばれる地の近くの観泉寺という寺に、駿河の戦国大名今川氏の墓所がある。南北朝の動乱で足利尊氏に従って功を挙げた足利氏の庶流今川氏は、駿河・遠江の守護..
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内藤塚(群馬県箕郷町)
保渡田城の北西に800m、善龍寺の南200m程の車道沿いに2基の墓がたたずんでいる。武田信玄の重臣内藤昌豊とその子昌月の墓である。保渡田城の項に記載した通り、1566年の武田信玄による箕輪城攻略..
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長野氏累代の墓(群馬県高崎市)
高崎市浜川町の来迎寺境内に、長野氏累代の墓と伝えられる墓石群がある。長野氏が武田信玄に攻められて滅亡して後、周囲の畑の中に崩れ落ち埋没していたものもあったが、大正12年の墓地整備の際に発掘され、..
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両新田神社(愛媛県松山市)
←境内に残る多数の五輪塔
両新田神社は、新田義貞の三男義宗と脇屋義助の嫡男義治を祀った神社である。
新田義宗は、義貞の嫡男義顕が越前金ヶ崎城の戦いで戦死して以降、妾腹の兄義興を措いて実質的..
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脇屋義助廟堂(愛媛県今治市)
脇屋義助は、南北朝期に南朝軍の総帥であった新田義貞の弟である。
1333年、兄義貞と共に上野新田の庄より挙兵し、鎌倉街道を南下して鎌倉攻略を成し遂げた。1335年に生起した中先代の乱の平..
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細川和氏墓所(徳島県阿波市)
細川和氏は、足利氏の一族で南北朝時代に尊氏に従って大きな足跡を残した武将の一人であり、細川頼春の兄に当たる。細川氏は、足利氏の庶流で三河の細川郷を本貫の地とする。足利氏は鎌倉時代に三河守護であり..
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細川頼春墓所(徳島県鳴門市)
細川頼春は、足利氏の一族で南北朝時代に尊氏に従って大きな足跡を残した武将の一人である。
南北朝時代には、足利尊氏・直義や新田義貞・脇屋義助、楠木正成・正季など兄弟で活躍した例が多いが、特..
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新田義興首塚(埼玉県入間市)
←境内に残る首塚の松
入間市の中心部に程近い愛宕神社には、新田義興の首塚とその従者13人の十三塚がある。
新田義興は、新田義貞の次子で、嫡長子義顕が越前金ヶ崎城の籠城戦で足利方に攻められて自刃..
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鎌倉史跡巡り その3(神奈川県鎌倉市)
稲村ヶ崎に続く、鎌倉巡り2日目の足跡である。
<十一人塚>
現地解説板に拠れば、新田義貞の鎌倉攻めの際、新田氏の一族である大館宗氏は極楽寺坂の切通しから府内へ攻め込んだが、幕府方の反撃..
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