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神様、助けてください:「疾走」上巻 [小説]

*この記事は、6/2に書いた「家族は簡単に崩壊する:「疾走」上巻」の続きです。

 今日、重松清さんの「疾走」上巻を読み終わりました。そう、まだ上巻です。遅いです。本の内容が退屈で、興味を持ち続けられなくなって手放すのではなく、面白くて引きこまれて読み続けるのですが、途中で胸が痛くなってどうしても本を放してしまうのです。なのでやっと今日、読み終わりました。
 こんなにも心に響くのは、多分私が元々重松清という作家さんが好きで、描き出されることと興味の方向が一致することが多く、つまりは相性がいいってことだったんでしょうけど、今回はその相性のよさが裏目に出ました。痛い、読むほどに痛い本です。真っ直ぐに刺し貫かれるのではなく、小さなナイフでメッタ刺し、そんな痛さです。
 淡々と無数に描き出される人の痛み、差別、いじめ、親の弱さ、人の弱さ、子供の悲しさ、小さな救い、少しの希望、それがまたさらに絶望を加速させます。

◆以下、かなり内容に触れていますのでご注意下さい◆

 以前に思ったとおり、主人公の家族は崩壊してしまいました。それも実にあっけなく。小説としてももっと引っ張るのかと思ったら、あまりにもあっさりと残酷なまでにあっさりと、弟は兄が犯人であることに気付き、やがて警察も気が付きました。その間は(体感として)10ページもなかったでしょう。本当にあっけなかった。
 そして終わりです。家族は壊れてしまいました。こんな時、親の弱さを感じます。作中で神父が主人公に「信じなさい」と言います。もしかしたら兄が犯人かもしれないと呟く主人公に対し、彼が罪をおかしていないと信じるのではなく、ただ兄を信じなさいと。そして主人公はそれに従います。私はそこを読みながら、頭の片隅で考えました。でも親は長男を信じられなかったんだなって。
 あの時、弟が兄を信じた時、兄はちょっとだけ救われたでしょう。弟は兄に手を差し伸べた。だけど、兄は結局その手を取らなかった。無理もありません。もうその時点で充分に兄は壊れていて、それだけじゃなくて周りの世界も崩壊を始めていて、親は彼を信じていなくて、全ては手遅れだったんですから。でもあの時、彼の弟が手を差し伸べたこと、それに私は小さな希望を感じました。そしてまた、その少しの輝きが、さらに絶望を加速させるのです。
 タイトルの「疾走」とはそういう意味でもあるのだろうかと考えました。

 私事になりますが、私は小学校の頃、カトリック系の学校に通っていました。幼い時に受けた教育というのは根深いもので、今でも私は他の一般的な日本人より、かなりキリスト教的な価値観を持っていると思います。自己犠牲をなにより貴いものだと考えますし、悪いことをしてもきっとどこかで誰か(神様です)が見ている、そう魂に刷り込まれています。ま、そのこと自体を良い悪いと思うことはありません。人は与えられた環境で生きるものですから。
 そして、私が最も自分の中にある宗教心の存在を感じるのは、「神様、助けてください」と祈る時です。苦しい時、辛い時、誰にも話せない悩みを抱えている時、私は自然と「神様、助けてください」と心の中で呟きます。祈っているつもりはありませんが、これは多分祈りでしょう。実際に助けてくれると思っているわけでも期待しているわけでもありません、しかしこう呟くと少し心が楽になる、気がするのです。楽になるじゃなくて、楽になる気がする、その程度のちっぽけなものです。それでも私はそうやって祈り続けます。

 この本を読みながら、私は祈りました。「神様、助けてください」と。それは自分を助けてくれということではなく、主人公の少年シュウジを助けてくれという祈りです。ずっと優秀な兄と比べられてきたシュウジ、兄の陰で親に無視されがちだったシュウジ、学校でも兄と比較されてきたシュウジ、走ることが好きだったシュウジ、最初は逃げだしたかったのかもしれないけど、やがては走ること自体が好きになっていたシュウジ。でもやっぱり、その走りはどこか自暴自棄で、それを女の子に指摘されてしまったシュウジ。
 彼はその女の子に淡い恋をします。はっきりとは描写されていませんが、私はあれは恋だったのだと思います。強い、女の子でした。「ひとり」でいることが平気な、でもたぶん彼女だって平気じゃなかったんでしょうけど、シュウジにそれを悟らせない程度の強さを持った女の子でした。いつもシュウジの前を走っていました。美しいフォームで、胸を張って。けれど彼女もやがてシュウジの前から去ります。
 シュウジには徹夫という友達がいました。弱い子でした。最初はいじめられっ子で、シュウジは直接それを助けることはなかったものの、彼を教会に連れて行って逃げ場を与えてあげました。やがてその子の母親はヤクザと関係を持つようになり、学校内で徹夫の立場は一変します。彼はお調子者で、その状況にあっさり乗っかって威張り散らします。弱い子です。でもそのうち街で放火事件が起こります。ヤクザが関わっているのではないかと噂が立ち、徹夫はまた一気に奈落へと突き落とされます。しかし、実際の犯人は別でした。そうしたら徹夫は今度は大喜びで、犯人の弟だった子をいじめる首謀者になるのです。周りに翻弄され続ける、本当に弱い子です。そして悲しい子供です。

 シュウジの父親は蒸発します。彼は街の中で犯罪者の父親として孤立することに耐えられなかったのでしょう。母親はその後生きていくために訪問販売の仕事をしていましたが、やがて顧客に騙されたことをきっかけに、ギャンブルに溺れます。最初はとてもツイていましたが、ダメでした。やっぱり終わりはやってくるのです。それでも彼女は買い続けます、長男の、出来がよかった自分の希望だった長男の、誕生日の数字が入った番号を。それは決して弟、シュウジの誕生日ではありません。
 他にも様々な出会いがシュウジを取り巻き、そして通り過ぎていきます。小さな一人の少年の心をたっぷり傷つけて。それでも生きていかなくてはいけないのだと、執拗にせまって。

 シュウジはどうなっていくのでしょう。上巻を読み終えて、私は息をつきました。そして祈りました。「神様、助けてください」と。まあ、下巻で彼の運命はすでに文字として決まり、書かれて印刷されています。コピーを読む限りでは、そうそう絶望的な終わり方でもないようです。・・・でも、だからといって、救われるとは限らない。それが私の希望するような救いとは限りません。 

 本を読むということは、作者から与えられるということでもあります。読者は物語を作者から与えられる。しかしそれだけではなく、読者は作者に与えられた物語を、さらに自分の心の中で膨らませます。自分の経験を加え、考えを加え、思いを込めて。ただ一方的に与えられるのではない。読者もまた作者に向かって何かを投げ返しているのです。・・・物理的には届かないとしても。
 与えられた登場人物は、それを読んだ一人一人の心の中で、新たな命を得て生き続けます。
 私はシュウジが救われることを願って、祈ります。神様、助けてください。と。

疾走 上

疾走 上

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/05/25
  • メディア: 文庫

 

 

*後日、この続きとして「動機と結果、そしてパンドラの箱:「疾走」下巻」(6/16)を書きました。


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