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8/15靖国神社探訪記総括 [今そこにあるモノを見にいく(ルポ)]

今年もまた、終戦記念日がやってきた。

ヘリの音で目が覚める。去年、街宣車の軍歌で目が覚めたときよりはマシかもしれない。

毎年この日は必ず靖国神社へ行くことにしているが、ああ明日も人が多いんだろうな、そのうちマスコミの割合は…などとやっていたら就寝が遅くなってしまった。起きていろいろとネットやらなにやらをチェックするとどうやら7:45頃小泉首相は参拝するらしい。時計を見れば7:10。飛び起きて支度し即行で家を出る。

お盆もあり道路はガラガラ。タクシーはあっけなくつかまり、裏道をとおり、なんとか靖国神社へ。

小雨がしっとりと降るが空気が冷えることはなく、ねっとりとした熱気が四肢に絡みつくようだ。ヘリの爆音はやまない。「地獄の黙示録」かよ。おそらく参拝はまだなのだろう。報道陣が参拝客めがけ容赦なくカメラをむける。まだ人はさほど多くはない。


境内がいささか閑散としているのとは対照的に昇殿前は人だかり。「靖国護持」というTシャツを着た坊主頭が数名おり、賽銭箱の横には普段はいないカメラマンが居並ぶ人々を撮影している。私は真ん中に落ち着いたが、到底昇殿の中を見える位置ではない。見えるのは携帯やらビデオカメラやらを掲げる人々の腕だけだ。期待感が狼煙のように立ち昇り渦を巻いているようだ。低く小さなざわめきが波紋のように広がっていく。それがどれほどの時間だったのか。

 きた、きたきたきたきたと火をつけたように駆け巡り、いっせいに腕が上がる。本来ならば昇殿は撮影禁止だが、制止するものはいない。おそらく神社側も黙認なのだろう。これは歴史的瞬間でもあるのだから。小泉首相が昇殿の中に姿を現した。そのとき、どよめきと異常な興奮状態、そしていささかためらいがちに拍手が起こり、前方にいた「靖国護持」Tシャツを着たいわゆる“右翼”らしき人の声で「よくやったーーー」。それ以外は明確な“言葉”はなく、うぉおおおおおという地鳴りのような唸り声があたりを支配していた。隣の男が携帯を片手に「いま!小泉総理が靖国参拝を行いました!わたくしは--」などと彼女の手を引き引き実況をしている。その手のブロガーもかなりいたのではないだろうか。私を含めて。

「あ、いま横切った」

そうはいっても私に写せるのは人々の手だけだ。拍手と歓声。苦い顔をしている賽銭箱横のカメラマン。参拝と同時ぐらいに小糠雨だったのがボツボツと強く降り始めてきた。私自身はある種の歓喜の涙ではないか、と思うのだが、マスコミはまた例によって“暴挙に対する悲しみの涙”とかなんとかいうのだろうな。雷でも鳴ったら完璧だっただろうけど、そうそう野中広務が泣いて喜ぶような展開にはならなかったのだった。



人が廊下を歩くとき儀式でもない限りそんなに時間はかからないだろう。

そういうわけで、気がつけばもう小泉総理は参拝を終えていた。上の写真のような按配で賽銭横に陣取っていたカメラマンがそのあと参拝する人々を写す写す写す。背の低いおばあさんが静かに手を合わせているとわざわざ接写してまでもその顔を記録しようとする。参拝者は罪人なのかよ、と小さく悪態をつく。さすがに神社側の警備担当が「昇殿は撮影禁止です!すぐでていってください!」と割ってはいる。結局彼らはたたき出されてしまったわけだが。





つはものどもが夢の跡でしょうかね。












飯も食わずに飛び出してきたので、ここでいったん家に帰って食事をとることにした。自分になにか影響がなくても殺伐とした場にいるだけでかなり体力を消耗するのだなと思った。参堂を歩いていると、早速インタビューされている人がそこここで見受けられる。化粧もしてないからインタブー求められたらどうしませう、などと余計なことを考えていたが、手ぶらに近い状態だったので単なる近所の暇なやつと思われたのだろう。どこからもお声はかからなかった。

 
上記画像はだいたい一続きと思ってください。日の丸をもったオジサンがインタビューされていた。私が通り過ぎようとしたときオジサンは「アンタねえ、凱旋門知ってる?」と唐突に報道陣へ質問していた。なんとなく私の中であの朝生で発せられた「アンタ聖徳太子知ってる?」というのと重なって思わず足を止めた。「えーっとあのパリの…」と報道陣も戸惑い気味。おじさんの主張をまとめると“凱旋門も無名戦士を祀るためにあった。世界中こういう施設はあって当たり前”ということを伝えたかったらしい。おそらく靖国で取材すればこういう発言が多々あるのだろうな、と感じた。あとで“靖国へ参拝するような輩はこんなウヨクみたいなのばっかり!”と変な風に報道されなきゃいいな…とオジサンのにこやかな顔をみながら考えた。



周辺にはこんな風に機動隊車両と右翼の車が交互に止まっていたりした。



沿道にはモノ配る人主張する人が鈴なりになっている。法輪功もせっせとビラを配っている。今年は外国人参政権反対の団体もビラ配りにいそしんでいる。その他、アレ?と思う団体が配っていた。こうしたビラ配りをしている団体はある種の共通項があるのだが、その団体には年齢服装性別雰囲気ともになにも共通した感じがしない。これで閉鎖的かつ一人か二人妙に目立つ格好(紋付はかまとか)着ていると2ちゃんねらだなと思うのだが、そうした特徴もなかった。まあ宗教かまたはかなり強固な共通項がある2ちゃんオフなのかな、と思いつつ、ビラを受け取った。(下記画像参照)




下は法輪功の配っている新聞。その上にあるTBSに対する抗議文などが記載されているのがその団体が配っていたもの。ビラはカラー印刷されており、金がかかった、一見して組織がきちんとだしているものだなと思えるつくりだった。裏にはカラーで漫画なんか書かれているし。内容としては例の安部氏の画像をまったく無関係な戦争時の画像と組み合わせたいわゆる総務省から指導がいったモンタージュ映像にからめて“TBSの免許剥奪のために署名をお願いします”というものだった。この団体についてよく知らないのでググってみたのだが、HPもないようなので、ちょっと気になった。




とまれ、家に着くとさきほどの報道がされていた。キャスターはみな一様に興奮している。まあ演出なんだろうけど。しかしこんなぎゃーぎゃー騒ぐことかね。生姜先生こと姜尚中はニュース23で「歴史の分岐点となるだろう」と述べていたが、いったい誰がそうしたのか、と思う。

ご飯を食べて落ち着いてから靖国へ。曇天はいつほろほろと雫を落とさないとも限らない不安定な様相だった。それでもなんとなくもう雨は降らないような気がして傘を持たずにむかう。

入り口ではこのままラップでも一席ぶったほうが似合いそうな方が演説をしておられた。この方は毎年ここで演説されている。特徴のある声(ご本人いわく「だみ声で失礼しております」)を聞くたびにああ靖国にきたなあ…と感慨深くなるから不思議だ。











 

人出は午後になっても絶えることはない。参拝客の年齢層は去年と同じく、30後半から40代がすっぽり抜けたその前後がいちばん多いというかなんというか。俗にいう働き盛りの年代があまり見受けられない。お年寄りは懐古で、若い層はネットの影響で、なんていう言説がでてくることだろう。











参道の両脇には署名を求める団体、垂れ幕をもってアピールする団体がそこかしこに見受けられる。




そして靖国神社関係者も報道陣に混じって写真をとりまくっていれば、
















キリストの幕屋がどさくさにまぎれて小冊子を配布しており、











 


 

ふとみれば三線がなっていたりするのでかなり境内は混沌とした状況だった。












 



鳥居をくぐるときに中国語が耳を掠めたり、観光地めいた印象もあった。感覚でいえば去年と同じくらいの人出。昇殿へ並ぶ人々の列も同様で大変な混み具合である。朝、参拝を済ませておいてよかった。


 










 

脇で靖国神社担当者が「救護室もございます!ご無理をなさらないように!」と声を枯らす。去年のように直射日光が照りつけられると困るのだが、蒸し暑くても緑のおかげで風が吹き、比較すればだいぶ楽だろうと思われた。とりあえず遊就館へまわってみる。救護室あたりでは麦茶の無料配布もおこなっているようだ。










あっさ!こっちもスゴかとねえ。ちょっくらびっくりでなんしょ。とどこの方言だかわからない言葉がでてくるくらい混んでいる。こんなに並んでいるのはじめてみました。おととしは実に閑散とした風景だったのに比べるとここ一、二年は大盛況だな。ただ別にスーツを着て来いとはいわないけれども、メイドみたいな格好をした女を連れた男がポーズをとらせてデジカメむけたりしているのはさすがにどうかと思う。こういう勘違いした輩がくると英霊の鎮魂というのはどこやらで単なる観光地化しているだけじゃないかとふつふつと怒りがわいてくる。参拝客が増え、ひとつの文化として定着するのは私の望みでもあるが、だがだからといって観光地になってくれ、はとバスよ止まれということではない(特にこういう終戦記念日などは)。暑さ疲れと相成って、やるせない気持ちになってくる。

そんなことを考えていると横をカメラだの何だので包囲された団体がこちらに直進してくる。なんだなんだと思ってみてみたら…古賀誠センセイのご登場でした。口を真一文字に引き締め、追いかけ質問するマスコミをまくかのように早足で歩き、その威圧感はなかなかのものだ。

リムジンに乗り込みご退場。問いかけにも答えなかったような気がする。案外小さい人だったのがなにより印象的だった。














マスコミの数も多い。機材をもって人にぶつかってきたりするからいやだ。この場では朝日の次に嫌われ者であるTBSも(まあそれだけ功労者ってことなんだけど。彼らが騒いだおかげでこんだけ参拝客が増えたようなものだ)、













どこだかわからない外国らしき?アナウンサーもいれば、













 

 

日テレのワイドショーで見かけるリポーターもいた。手前にいるグレーのスーツ姿の御仁に「センセイ」と話しかけていた。会話の内容が漏れ聞こえたが、なんでもお父上が満州で終戦を迎えられたようで、戦後いろいろとありましたでしょ、というようなお話をされていた。













毎度恒例のコスプレな方もいらっしゃる。ちなみにコスプレはここ最近始まったものではなく、結構昔から英霊を懐かしむという意味合いで行われており、個人的にはコスプレというものはここからはじまったのではないか、とすら考えている。最近は若い人も増えてきたな…などと思っていると、あの那須戦争博物館の館長(右画像)がいらっしゃるではないか!(詳細は根本敬先生の「人生解毒波止場」など参照ください)個人的には古賀誠に遭遇したよりもびっくりしました。かねがねお会いしたかったから感慨もひとしお。お元気なご様子でなによりでございました。

 靖国そばのある喫茶売店では、陸自っぽい格好をされた方と旧日本兵の会合中。日よけのある旧日本陸軍の格好をされた方は年のころ67歳ぐらいでその日焼けして刻まれた皺をみているうちに、大叔父が生還してきたガダルカナルのことを思い出してきた。酒を一滴も飲まなかったのに、帰ってきたら黙ったまま一升ぐらいあけては日本刀を抜いて暴れていたという。私が会ったときはそんなことは片鱗も見せずに、ただ優しく撫でてくれたのを懐かしく思う。大叔父が黄泉へと旅立ってからもう幾年になるだろうか。




そんなこんなでふと見れば、
















青空がのぞいていた。

 
もういいか、とその場を離れたのが17時頃。それでもまだまだ参拝客が九段の坂をのぼってくる。今日は去年よりも参拝客が多いのではないか。(後日新聞を見たらそのとおりであった)歩いて帰ろうかと九段の交差点を神保町方面へ向かって歩いていると、俎板橋がなにやら物々しい。機動隊員が集合している。

 
どうやら九段交差点で神保町へ向かう斜線を規制しているようだ。街宣車が止められ、警官ともめている。タクシーには客が乗っており、急いでいるとしたら気の毒にな……と同情。とりあえず、ここまできたならきっちり見ていこうと事態の趨勢が判明するまでしばらくこの場にとどまることにした。


しばらくすると機動隊員は消え、代わりに警官隊が列を作る。あたりには不穏な空気が漂っていた。ひっきりなしに笛の音がし、空気が殺伐とした色をなしてくる。

とそのとき、向こうから紋付はかまで扇子をひらひらさせた男を先頭に30人ほどの団体が歩いてきた。服装も年齢もばらばらで、その共通項のなさに、ああ2ちゃんねらのオフ会だな、とわかる。まさかこのための規制じゃないだろうな、などとのんきに思っていると、靖国神社の方角から街宣車がやってきた。機動隊の車が前方をふさぎ通さない。さきほどのラッパーな右翼の方だろうか。同じような声と絶妙な節回しで「反天皇制の人間を叩き出せ!た~たきぃ~だせぇぇ~」と喧伝する。しばらく繰り返すとUターンしていった。(後で裏道から別なルートで現れたことを知る)

警官が重点的に集まっている地域があり、ひょいとみると右翼団体の方を取り囲んでいるようだった。
「ダイナマイトで吹っ飛ばしてやりますよハハハハハ」という物騒な発言が飛び出すが、いたって和やかな和気藹々とした空気である。と、そこへ笛の音と地鳴りのような声が聞こえてきて、デモ隊が神保町方面から靖国神社へ向かって、靖国通りを縦断してきた。一気に緊張が走る。










ふとデモ隊の先をみると、ちょうど橋が途切れた前方に例の街宣車が止まっていた。「は~んてんの~うせいを~」と街宣が始まる。わっしょいわっしょいというデモ隊の声と重なって現場は騒然としてくる。先ほどの右翼団体関係者がいる横辺りに腰をすえ、事態を見守る。隣を見れば白人女性、後ろを見れば白人男性。白人女性はデモ隊がこのまま直進すれば街宣車とぶつかるのを知って「オーマイガーット」を連発。後ろの白人男性は「ファーーック」とつぶやく。両方とも、初めてリアルで聞きました。ちょっと感動。

信号の後ろ辺りにあるのが件の街宣車。大変にぎやかになってきた。















警官・機動隊員に守られながらゆっくりとデモ隊が進行して来る。目の前に来たとき、左隣にいた男性が飛び上がり、なにやら怒声を発している。警官たちがあわてて取り押さえる。

デモ隊はそのまま進み、あわせて街宣車が「ふ~んさぁ~い!ふ~んさぁ~い!!」と拡声器で怒鳴り、気がついたらいつの間にか終わっていた。そういえばおととしもここのポイントでやりあっていたな、と思いつつ、なんとなく予定調和という言葉が頭に浮かぶ。そういうつもりは双方ないのだろうけれども。

こうみると機動隊員の服装と特攻服がよく似ていることに気づいた。













さらに後方には

ちゃんと救急車が待機しておりました。














皆様お疲れ様でした。

 

去年、今年とまるである種の政治的顕示の場であるかのように“なってしまった”靖国。当日、私はYMOの「テクノデリック」を聞きながら歩いていた。現在からすればかなりチープに聞こえてしまうからこそ、とてもこの“狂騒的な場”にふさわしい。(特に「TAISO」なんて曲はまさに現場が「ケイレンの運動」状態であるわけだし)人工的かつ無内容の極みみたいな音の数々を、ひたすら耳に流し込みつつ、ご高説を縷々述べるマスコミ陣を横目にしながら、ぶつけようのない憤りに似た苛立ちを自己の内奥でたぎらせていた。三方向にばらばらに広がっていくその曲調はまさに“いまここ”でおきているこの状況を的確に表していた。

そんなわけで、この事態に対する私の考えは去年とあまり変わらない。参拝客が多いのはうれしいがメイドまがいの格好をしたやつらなんかがいたりするのをみると、多くなるのは果たしてよいのことなのか、と思えてくる。分母が多きければそれだけおかしな輩も増えるのは当然だ、とはわかっているけれども。

だけれども。
目の前におきていることがすべてではないのだ。

あれは、疲れたので木陰のベンチで休んでいたときのことだ。

まったく無関係なように喧騒が続く遠くの光景を眺めつつ、ある種の祭りだな、とそれをどう考えてよいやらと思案しながら、横を見れば。そんな周囲の大騒ぎとはまったく無縁なように、三人の親子連れが楽しそうに笑っていた。まだ幼い子がたったり転んだりしているのを両親は楽しそうに見守っている。遠目からみてはっきりとわかるぐらい、それは“聖家族”のように一体だった。彼らはこの騒動をどう見ているのだろう。その騒ぎはまるで関係ないように、彼らはいつもの日常をそこで過ごしていた。そのとき、私の傍らにおそらくは戦友に会いに来たと思しきお爺さんが腰をかけた。「いいかね?」「ええ、どうぞどうぞ」
「ここは涼しくていくらかしのぎやすいね」とおじいさんは美味しそうに一服。この人にとっても、この場にいるのは日常とまでは行かなくても“当然”なのだろう。私は彼らを見比べ、そして遠くで起こっている喧騒を眺め、どちらが靖国のあるべき姿なのだろうと考えた。

そしてそれはいまも考えている。

■以前の靖国参拝時ルポなど

【2004年8月15日の様子はこちら】
前編:右翼殿、そこのけそこのけデモ隊がいく。
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2004-08-15
後編:それはまだ終わらない。戦後は続く。(8月15日靖国神社参拝記 その2)
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2004-08-15-2

【2005年8月15日の様子はこちら
8/15靖国神社参拝を終えて、総括【50万ヒット記念もかねて】
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2005-08-15-16

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