SSブログ

ドン・ジョヴァンニ歌手の「ドン・ジョヴァンニ」観 [ドン・ジョヴァンニ]

マクヴィカーの「ドン・ジョヴァンニ」がSardanapalus さんのブログで取り上げられていますので、私も便上して、R.ライモンディの「ドン・ジョヴァンニ」観をご紹介したいとおもいます。
ヨーロッパではドン・ジョヴァンニ歌手というレッテルを貼られていたライモンディのそれぞれの役柄の解釈、演出についての興味深いコメントです。

彼に最初にドン・ジョヴァンニの楽譜を手渡して、「これを勉強しなさい。そうすれば、これはあなたのオペラになるだろう」と言ったのは、ヴェネチアのフェニーチェ座の戦後世代の著名な監督、Mark Labroca だった。1967年にフェニーチェ座ではじめてこの役を歌った。「しかし、この役が好きになりはじめたのは、Jani Strasserとの確執があったにもかかわらず、二年後のグラインドボーンでだった。彼は装飾音を要求し、私はそれを望まなかった。私はいつだって装飾音は最高に退屈で、レチタティーヴォの不自然なやり方だと思っていた。」
グラインドボーンの舞台監督、Franco Enriquezは、ライモンディの声をふざけて「精子的」と称し、この役の官能的な側面こそが、ライモンディが目覚ましい成功を得る事になるにちがいない特色であることを強調した。

ドン・ジョヴァンニが女たちを見たり、女たちに触れたりするときだけでなくその歌の中にその好色さが感じられなければならない。例えば、セレナーデを軽く歌えば歌うほど、それはますます好色な感じになるのだ。二幕のエルヴィーラとレポレッロとの三重唱では、声の色彩感は女性に彼の言葉を信じさせるものでなくてはならない。ツェルリーナとは全ての言葉は蛇の響きがあるべきだ。彼が歌うときは、その都度、あたかもその手が彼女の身体中をまさぐっているようなものなのだ。たとえ、彼が肉体的に彼女を愛撫していなくても、彼女が包み込まれていると感じるように接しなければならない。ジョヴァンニは女をベッドに誘う瞬間には自分の言葉のすべてを本心から言っているが、終わるや否や、次の女を求める男の典型である。だから、彼は単一の色彩を持った声で歌うはずがないのである。一万種類の音色を見つけなければならない。新たな状況、気分、人物に応じて、変化しなければならない。ある意味、彼は真空状態なのだ。彼は存在しない。彼は周囲の人々の欲望と羨望の投影なのだ。だからこそ、彼はあまりにも多面的なのだ。

彼はドンナ・アンナをものにしたという人もいれば、そうではないという人もいる。彼は性的不能者だという演出家もいれば、同性愛者だという演出家もいる。私は常に無数のオプションを持っていた。その秘訣は、彼をひとつだけのやり方で存在させるべきではないということだ。つまり観客が自ら見たい側面を選ぶ事ができなければならない。観客は、私が見ないものを見るだろうし、その反対もあるのだ。彼は関わりを持つタイプ、つまり優しさを求める女性なのか、あるいは、男の強さを感じるのを好むタイプなのかどうかといったこと、に応じて変化する。その都度、ドン・ジョヴァンニは押すべき正しいボタンを知っている。共通項は好色である。

「人々は、私がドン・ジョヴァンニを歌えば歌うほど、うまくなるに違いないと言う。これはまったく正しくない。私は魅力と空しさを感じる。魅力はモーツァルトの音楽である。なぜなら、この音楽は人物の強さと大きさをまさに決定づけるものだからだ。しかし、この人物の持つ哲学はとても単純だ。私の経験によれば、その行動を深く解釈すればするほど、観客にとってそれは退屈なものになる。ドン・ジョヴァンニは舞台に裸の女性や売春宿的雰囲気を必要としない。こういうのは、彼の衝撃性を弱めるだけだ。彼が必要とするものは、常に新たな経験と新たな恋人を探し求めるなかで、発電機たるだれかに遭遇することだけだ。彼はすぐにそれに飽きて捨てる。そして、彼と関係を持つその発電機こそが彼を次の征服へと駆り立てる」

ジョヴァンニの人物像を明らかにすると共に、ライモンディは他の人物について明確な考えを持っている。
ツェルリーナは、二重誘惑を現していると彼は言う。ジョヴァンニが仕掛け、それから彼女が彼を誘惑する。「私はツェルリーナが臆病な処女だとは思わない。彼女は経験がある。事実レポレッロはそう言っている。彼女ははじめて誘惑されたのではない。

ドンナ・アンナは自分の感情を認めるのを恐れている女性だ。時にこういう感情があまりにも強いため彼女はそういう感情に屈してしまう。だから、彼女は何が起こったのかを説明する方法を見つけなければならない。彼女は自分の本当の感情をドン・オッターヴィオに知られたくない。彼女が最初にドン・ジョヴァンニと一緒にいるのを見られるとき、オーケストラはピアノに変わるところである"Gente! . . . servi!" までfortepiano を際立たせる。それは彼女がジョヴァンニと一緒にいることをうれしがっている可能性があることを示唆しているが、因習的には二人は離れるべきだと言っている。彼女が、"Fuggi, crudele, fuggi!"と歌うとき、彼女がドン・オッターヴィオのことを言っているのか、ドン・ジョヴァンニのことを言っているのかわからない。その後、四重唱のあと、彼女はドン・ジョヴァンニに気がついて、". . . son mortal" と叫び声をあげる。感情的に大混乱して、彼女が言う言葉は「もう一度彼が欲しい」だ。私たちは何が起こったかはドンナ・アンナの話を聞くだけにすぎないということを思い出してもらいたい。舞台演出によってはそれは真夜中ではないこともある。ドン・ジョヴァンニは騎士長の友人としてその家を訪問することもできるのだ。彼はマントを持って彼女に続いて彼女の部屋に入ることも可能だ。彼は暗殺者ではない。騎士長が彼に決闘を挑んだのだ。

皆さんがセビリアに行ったことがあるかどうか知らないが、そこには毎年決まった夜に開く花がある。それはものすごく強い香りを放つが、それはほとんど陶酔させられる。それは"bella di notte"と呼ばれる。このような官能性と男に対する強烈な欲望をもったドンナ・アンナみたいな女性には、その種の香りが彼女の守りを崩しかねない。確かに、今話題にしているのが、実在の男なら、彼女に触れるのが強くて、健康で、男らしい誰かだったら、それは彼女の人生においてはある種の爆発みたいなものだろう。彼女はドン・オッターヴィオしか知らないわけだが、彼は男ではない。彼女が感情的に必要としている時、彼は"Ohime! respiro".としか言えない。彼女のバックグランドと社会的地位がじゃましなければ、彼女は容易にドン・ジョヴァンニの愛に屈したのではないだろうか。しかし、三日で、彼女もドンナ・エルヴィーラと全く同じようになったことだろうが、ダ・ポンテはそういうことを何も言わなかったのだろう。」

一方、ドンナ・エルヴィーラは、どっちつかずの状態にある。ジョヴァンニに対して抗議したい気持ちと、ああいう力を持った男に対して弱い感情の間で引き裂かれている。ライモンディの分析によれば、セビリアの香りが再び役割を果たす。ジョヴァンニがレポレッロと衣装を取り替えるとき、レポレッロが身につけている上着がその主人の魅惑的な匂いを帯びているがゆえに、彼女はだまされるのだ。
ライモンディは、ダ・ポンテの台本はdouble-entendres' があふれていると言う。エルヴィーラの'tuo barbaro artiglio'(エルヴィーラがツェルリーナをジョヴァンニの無慈悲な爪から救い出そうとジョヴァンニの邪魔をするとき)は、ジョヴァンニのベニスのことを言っており、『怒りと無念さの入り交じった気持ちで歌われる』のだ。ジョヴァンニの'sposeremo' は、ベッドに行こうとしていることをツェルリーナに告げるジョヴァンニ流のやり方なのだ。

ライモンディは、彼の見方はイタリア的なものだと認める。フランス人は、もっと女嫌いで、一方、ドイツ的なアプローチは、より演劇的で、喜劇的な要素は薄められると彼は言う。彼自身の経験によれば、ギュンター・レンネルトはだれよりもgiocosoと演劇をうまく結びつけたが、それに対して、ゼッフィレッリは舞台装置の美しさに捕われていた。
ポネルの演出は全然好きではなかった。なぜなら、「ポネルはジョヴァンニが好きではなかったので、その人物像を破壊しようとした。 オペラとして成功させたいなら、ドン・ジョヴァンニは神話にしなくてはいけない。そこには常に彼が存在しているという感覚と、彼が生み出す緊張感がなくてはならない。なぜなら、たとえそこに彼がいなくても、彼は、他の人たちが彼について話しているという行動を操っているのだから。ドン・ジョヴァンニを通俗化するということは、彼を消し去り、彼を破壊することになる。残念なことに、今日こういうやり方が好まれている。 」   (1994年インタビュー)

※フランス在住の演劇、音楽評論家のきのけんさんの「追悼:ジョゼフ・ロージー(1909-1984) 」の評論で「ドン・ジョヴァンニ」が取り上げられています。目次の「最後のロージー」の項をクリックして下さい。

この本「 追放された魂の物語—映画監督ジョセフ・ロージー」にも「ドン・ジョヴァンニ」撮影のいきさつとロージー監督のドン・ジョヴァンニ観が述べられています。

参考:
2005-07-06 記事32才の時のドン・ジョヴァンニ
2005-07-07 記事クイズ:ドン・ジョヴァンニ"Fin ch'han del vino"
HP1990年の「ドン・ジョヴァンニ」公演写真等


nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(3) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 8

きのけん

 いやあ!…僕にとってライモンディといえば、ドン・ジョヴァンニ、ドンと言えばルッジェロ!…なんですよねえ。身体の線にピッタリの黒革のコスチュームでかっこよかったですよ!…。そうなんだ、あの衣裳を他の歌手に着せるわけにいかないんで、他の人はなかなか使えなかったんだね、きっと…。

パリでは初演のショルティの時だけ、フランス人の歌手ということでロジェ・ソワイエ。その次からずっとルッジェロで、スゴイのがあったよ。アンナがユリア・ヴァラディ、マ−ガレット・プライス、エルヴィラがキリ・テ・カナワ、テレサ・ツィーリス=ガラ、レポレッロにガブリエル・バッキエ、オッタヴィオにスチュアート・バロウズ、騎士団長にジョン・マッカーディ。指揮はペーター・マークとヤノシュ・クルカの時が一番良かったかな?…。それじゃなかったらチャールズ・マケラス。だから、ロージーのフィルムのキャストは純然たる映画用キャストだったんです。エッダ・モーザーのアンナ、テレサ・ベルガンサのツェルリーナ、ジョゼ・ヴァン・ダムのレポレッロは舞台では一度もなし。勿論マゼールも一度もなし。
 ルッジェロはガブリエル・バッキエとの共演が楽しかったみたいで、あのオッサンが出てくると、もう可笑しくて可笑しくて歌えなくなっちゃう時があるんだ、なんて言ってました。
きのけん
by きのけん (2005-10-11 19:58) 

Sardanapalus

流石はライモンディ氏、しっかり語ってますね!面白くて、一気に読んじゃいました。

>観客が自ら見たい側面を選ぶ事ができなければならない
芸術と呼ばれているものは、ここが重要でしょう!特に、受け取り手がそれぞれ独自に解釈できる作品が名作になるのだと思います。「ドン・ジョバンニ」は正に色々と解釈できて面白い作品ですよね。

>ドンナ・アンナ
>彼女はドン・オッターヴィオしか知らないわけだが、彼は男ではない
ここ、大賛成!です(笑)オッターヴィオには男としての魅力が無いんですよね~。だから「私が父にも恋人にもなりましょう」とか言われても…とぼけたことを言ってるわ、としか思えないし(^_^;)彼のアリアになると眠くなるのもこの「へたれ」さ加減が原因ですね。
by Sardanapalus (2005-10-12 03:16) 

cypress

keyakiさん、お久しぶりで。すっかりご無沙汰しています。
いつにも増して今回のライモンディのドンジョバンニ観、読み応えがありまた参考になりました。ちょうど僕もモネ劇場の公演観てきたところだったんで記事の引用とトラックバックもさせて頂きました。先ずはご挨拶まで。
by cypress (2005-10-12 19:58) 

Sardanapalus

リクエストもあってキーンリーサイドのジョバンニ観を記事にしましたので、TBさせていただきました。こういうのを調べると、歌手それぞれで色々な意見があって面白いですね。
by Sardanapalus (2005-10-16 11:56) 

keyaki

お知らせありがとうございます。TBさせて下さい。
ところで、キーンリーサイドはマゼット→レポレッロ→ジョヴァンニの標準コースですか? それとも飛び級ですか?
by keyaki (2005-10-16 13:49) 

Sardanapalus

TBありがとうございました♪
キーンリーサイドはおそらく飛び級です(笑)少なくとも私の知る限りでは、いきなりジョバンニでそのままジョバンニしか歌っていないようです。1993年にイギリス国内を回るグラインドボーンのプロダクションでロールデビューしています。
by Sardanapalus (2005-10-17 21:16) 

コブラ・カダブラ

> 彼のアリアになると眠くなるのもこの「へたれ」さ加減が原因ですね。
いや、眠くなるんではなくて既に彼の媚薬に酔いしれてしまっているのかも、ですよ?麻薬と同じ効果があるのかも・・・って麻薬やったことないですけどw
by コブラ・カダブラ (2007-10-25 11:36) 

keyaki

コブラ・カダブラさん、いらっしゃいませ。
おぉ、こんなのを記事にしていたのね、と懐かしく読み返しました。
オッターヴィオの媚薬ですか.....
オッターヴィオって、お人好し以外のなにものでもないですよね。
それなのに、長いアリアが二つあるんでしたっけ、なんででしょうね。
by keyaki (2007-10-25 23:37) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 3

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。