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32才の時のドン・ジョヴァンニ [ドン・ジョヴァンニ]

R・ライモンディは26才(1967年)から64才(2005年)まで、400公演以上「ドン・ジョヴァンニ」を歌っている。
1967年12月12日、デビューからたったの3年後、ヴェネチアで、最初の「ドン・ジョヴァンニ」を歌った。奇跡とも言えるほどの適役に出会い、これが最初の国際的な大仕事をもたらした。1969年6月、グラインドボーン音楽祭に出演した。そこでのドン・ジョヴァンニはセンセーショナルな大成功だった。(セガリーニ)

アラン・ブリス(イギリスのオペラ誌1969年7月)の言葉によれば「すばらしい才能に恵まれた歌手。背が高く(198センチ)、堂々として、ハンサムで見事に動く歌手」だった。
舞台監督、Franco Enriquezは、ライモンディの声をふざけて「spermatosoica精子的」と称し、この役の官能的な側面こそが、ライモンディが目覚ましい成功を得る事になるにちがいない特色であることを強調した。(アンドリュー・クラーク)

メトロポリタン歌劇場から、ドイツの複数の大劇場を経由して、ロンドンのコヴェントガーデンへミュンヘンでは、レンネルトとサヴァリシュと共に役づくりをし、85回の上演の契約をするほどの成功をおさめた。(セガリーニ)

この1973年、R・ライモンディ32才の時のレンネルト演出、サヴァリシュ指揮の『ドン・ジョヴァンニ』のCD(ライブ)が、今回MYTOから再販 されました。
そのリブレットにこの公演の評が掲載されていましたのでご紹介します。

1973年ミュンヘン音楽祭での公演は大成功だったと言えよう。ジョン・ヒッギンスは「オペラ誌」で次のようにコメントした。

ドンナ・アンナとのもみあいが、二度目のレイプになりかねなかった冒頭の場面から、ライモンディは力強さと男らしさにあふれた精力満々の輝くようなジョヴァンニだった。一幕の彼はへそが見えそうなほどにはだけた真っ白のシャツに光沢のある黒革のズボンといういでたちだった。彼は勝利感と攻撃性の塊だった。このレイプ魔は、ツェルリーナではちょっとまずったが、騎士長の姿をした恐ろしい死神に連れ去られるまで、欲しいものは手に入れてきた。

三人の女性たちも全員、その性格がはっきり表現されている。
マーガレット・プライスのアンナは、最初は、怒り狂っているが、その後は、うってかわって、3時間の音楽の最後まで、禁欲的で清廉潔白の雰囲気を保つ。'Non mi dir'は天使の、そして、殉教者の響きだった。彼女は天使のように歌い、殉教者のように演じた。
ユリア・ヴァラディもはじめは激しい感情を露にし、それから、哀しみともの凄い嫉妬心の間で揺れ動く。大勢のエルヴィーラが神経質に喚き立てる傾向があるこの音楽を、彼女は恐れる事なく大胆に扱っている。
スタッフォード・ディーンは、誘惑者の、恋のかけひきを最大限学ぼうとする弟子としてのレポレッロを演じた。カタログのアリアの終わりのごろ、ちゃっかりとエルヴィーラのスカートを両手でまさぐる。ジョヴァンニが捨てた女たちこそがまさに手始めというわけだ。
ディーンは敏捷でしなやかな演技を見せ、声もこの役にぴったりだ。彼はとても勘がいいから、ジョヴァンニがまだつばもつけないうちに、ツェルリーナを自分のノートの載せる。
そして、自信にあふれた声のクルト・モルが歌った騎士長が呼びに来ても、おうちに帰る最善の道を選ぶぬけめなさを有している。


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コメント 1

euridice

お! やすやすと入れたではないですか!
驚き、桃のき、山椒のき、
なんとハンサムなジョヴァンニ!
by euridice (2005-07-07 18:06) 

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