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子供は、「育てるもの」でなく「育つもの」!(性善説での教育論議) [時の話題]

 KatsuichiさんのBLOG「教育一考」に書かせていただいたコメントをサルベージしたく、多少手直しして記事とさせていただきます。 (あまり、このBLOG的な記事でないかもしれません)

    教育の目的とは何か|教育一考
    http://ameblo.jp/ameblokatsu/entry-10058606780.html

 

 教育に関する議論を聞いていて思うのは、様々なところで行われている議論の大半は「子供は勉強が嫌い」「悪いことをする物だ」「放っておくと悪い方向にしか進まない」という、『性悪説』が元になっているかのような議論を多く耳にします。

 しかし私が思うに子供本来の特徴は、「知識欲が旺盛」「チャレンジ精神」「失敗を恐れない」「仲間との人間関係を大事にする」などの優れた特質を明らかに持っており、『性善説』に立って優れた特質を行かす方向での取り組みこそが必要に感じています。

 また、子供は育てるもの」ではなく子供自身の力によって「育つものであり、周囲が関われるのはせいぜい「お手伝いに過ぎないのではないでしょうか?

 

 話が変わってしまうようで恐縮ですが、仕事上で部下や後輩と接していて思うのは、教えられたことと言うのは一週間もすれば半分以上を忘れてしまうけれど、自分でつかんだノウハウや方法というのは生涯忘れず、時間が経てば更に応用範囲が広がる物だというのを経験しています。

 また好きなことであれば、こちらから教えずとも勝手に調べだし、いつの間にか教える側を凌駕する知識を得ていて驚いた例にも何度か出くわしたことがあります。

 学校教育にこれを当てはめると、試験のための「知識詰め込み型の教育手法ではなく、モチベーション喚起型」の教育手法の方が結果として子供達の頭の中に残り、応用の利く知識なり思考方法が育つ物と思っています。

 つまり、子供は基本的に非常に大きな「知識欲」を持っているので、それを邪魔したり、勉強を嫌なことだと思いこませず、多少の方向付けと刺激で伸ばしてゆける教育手法が私にとっての理想です。

 学習指導要領で何を教えるかの枠組みを決めるのは国会やお役所の仕事ですが、それを教えるのに詰め込みでやるのか?それとも子供自身の興味を刺激してのびのび教えるのか?は、教師の力量の問題で、後者の方法を意識せずとも実践していらっしゃった教職員が昔はどこの学校でも何人かはいらっしゃったと思いますが、今はどうなのでしょう?
(向上心を持って行った試行錯誤の結果でしょう)

    学研「科学」と「学習」。私の『知る悦び』の原点!
    
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-06-06

    幼児教育について考える!(英語教育:鬼嫁と冷戦中)
    
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-02-10

 

 人間としての行動規範や道徳教育にしても、学校や親などが出来ることはせいぜい子供の成長の「手助けに過ぎず、幾つかの指針を与えることのみにとどめ子供達自身の自己成長能力を信じて、むしろ「必要以上に関わりすぎないという態度の方が必要な気がしています。

(むろん「必要な場合」は、断固として関わらねばなら無いことは言うまでもありません)

 

 最近自分自身も反省しなければならない点でもありますが、親や学校は必要以上に子供を構い、関わりすぎているのではないかと思うことがあります。

 例えば我が家の場合、4歳の長女「青葉」と2歳の長男「立夏」がオモチャや絵本の取り合いで喧嘩になった場合、直ぐに止めに入り「どうして喧嘩になったのか?」「喧嘩はいけない!」などと介入してしまっていますが、もう少し放って置いて成り行きに任せるなどの行動も取れる気構えを持たなければならないように感じています。

 そういった子供どうしの喧嘩を通して、「自己主張の仕方」を学ぶでしょうし「取りあげてしまった後の後味の悪さ」「負けてしまった場合の悲しさ」や「力の弱い相手に対する優しさ」「負けん気」「強い者から掛けられる思いやりの嬉しさ」なども学んでくれるでしょうし、何よりも「人間としての強さ」を身につけてくれるのではないか?と思います。
(時には親としての強権をふるったり、叱ったりもせねばならないのは当然です。)

 学校などの教育現場に於いても、「甘い」と言われればその通りなのかもしれませんが、ある程度「子供達どうしの社会」を信頼して「子供達の自己解決能力の成長を信じる」というアプローチがあっても良いように思います。

(いくら「いじめはいけない」「弱い者いじめは卑怯だ」と理屈の上で教えても、経験を伴わないのでは単なる座学に過ぎなくなってしまいます。)

    いじめは必要悪?
    
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2006-11-01

    子供のことは、子供達の社会にまかせましょう!(いじめ 昔の家族はこうだった?)
    
http://blog.so-net.ne.jp/kawaraya-taisei/2007-01-08

 

 普通の子供は、信頼を寄せれば当然信頼で答えてくれると言う考え方は、性善説に立ちすぎているのでしょうか?

 また、自分自身が子育て当事者になって感じているのは、子供は「育てるもの」ではなく「育つもので、場合に依っては子育てと言う場面を通して大人である自分自身を育ててくれるもののような気がしています。

 親や教職員などが出来るのは、せいぜい「子供自身の育ち」を少しお手伝いできる(もしくは邪魔をしない)程度なのではないのでしょうか?

 そしてあくまでも教育の目的は、社会に出て自力で生きてゆける大人を作り出すの一語に尽きるのではありませんか?


 そう言う見方で接すると、今の教育論議、別の見え方がする場合がままあります...。

 

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PS.
 現行の教育における問題の大半は、実際の現場で対応していらっしゃる「人」の問題が大半だとの認識を持っています。
(その「人」には、教職員のみならず「保護者の父兄」「地域の大人」などや、教職員に強権発動の権限を渡すコンセンサスが作れるのか?なども含みます。:また、非常に素晴らしい先生方が今もいらっしゃるのは承知しています。)

 逆に言うと、今起こっている問題の大半は「人」の問題で、制度論議で論ずべきは「選択できるコースの多様化」という別の観点での論議が本筋であるべきで、制度を変えようとも、今までと同じスタンスの人たちが同じ取り組みでやるのであれば「器は出来ても中身は入らず」となり、結果は変わらないのではないでしょうか?

 
PS2.
 学校の持つべき機能について記事を書こうと準備していたのですが、正直言って難問で未だよく解らず、人の意見を伺うのみに終始していました。

 ただ基本原則は、本文中に書いたように「社会に出て自力で生きてゆける大人を作り出す」の一語に尽きると考えています。

 その中には「知識」「経験」「感情」「感性」「行動規範」「人間関係」「体力」「気力」「生きる目的の設定」「生活技術」など、ありとあらゆる物が含まれていて、
それを「学校教育」で行うべきなのか?、「家庭教育として行うべきなのか?」、それとも「地域の皆が教えてゆかねばならないのか?」、
また方法は、「詰め込み型」が良いのか?、「子供の自由意志尊重型」が良いのか?、未だよく解らないのが本音です。


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アキラ

仕事のことだけではなく、「子育て」についても、良く考えていらっしゃって感じ入ります。
私は子供を育てることで、親も成長するのだと思っています。
人が生きていく上で、選ばなければならない道は、無数にあります。
決して、道を選択するに当たって、注意深く見ている。(選ぶ道を指示すると言うことでは、決してありません)
そして、万が一誤った道へ行ってしまった場合には、引き返す勇気を持つように育てるだけではないかと思っています。
更に言うなら、親は生きている限り、子供のために門を広く開けておくということでしょうか?
by アキラ (2007-12-06 18:16) 

しゃくとりむし

先日NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で
「堀川高校の探求科」とその設立の立役者である校長の荒瀬氏を
紹介していました。

きっとたいせいさんの考える教育と共通する部分があると思いますよ。
by しゃくとりむし (2007-12-06 19:48) 

浜松自宅カフェ

子供に限らず人を育てることすべてにおいて、まったく同じ考えです。
ですから僕らの子育ての基本は「やらせてみる」です。

そして、子供と一緒に親も育つ。これも同感です。
なので、僕はまだ「お父さん6年生」だと自覚しています。
子供と一緒に親が育つことを、ライフスタイルプロデューサーの浜野安宏氏は、
「共育」と表現し、著書も著わしています。

僕は子供室をリビングルームにすることには反対論者で、子供室は
基本的にプライバシーが保てる「ベッドルーム」であれば良いと考えて
います。
勉強は採光を採った北側のオープンスペースに大きなカウンターを作り、
親と一緒に勉強するのが理想だと思っています。
by 浜松自宅カフェ (2007-12-06 22:54) 

たいせい

 アキラさん、「子育て」とは「親育て」でもあると本当に日々実感しています。
 カニなどを貰っても何故一番美味しい身を子供に分けてあげられるのか?不思議で仕方ありませんでしたが、いざ自分に子供が出来ると知らず知らずに分けている自分に気づき、親心とはどんなものであるかがこの年になって初めて解るようになったりもしています。
 また二人目が生まれて、兄弟間の足り撮りを見ることによって気づかされたことも幾つもあります。

 最近、友達目線での親子関係を目にする機会が良くあるように思います。
 子供の立ち位置まで自分が降りてじゃれ合っていると、子供達にも嫌われることはありませんし確かに楽しいのですが、果たしてそれを親子関係と呼べるのだろうか?と疑問を持つことがあります。
 また、その場合は子供の活動を親が常にリードしてゆくことにもつながり、子供の自己解決能力は伸びることがありません。
 むしろ、親と子はアキラさんの仰るような「注意深く見守る事の出来る適切な距離感」を保つことの方が大切ではないかと思うようになりました。

 まだ我が家は二人の子供とも幼く、「道の選択」とまで言えるような局面には出くわしてはいませんが、子供にとって仮に理不尽であろうとも「終始一貫している」と言う部分にこだわって、「行きつ戻りつ」しながら時には「引き返す勇気」を持って、我が家の子育てに当たってみたいと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-12-07 10:06) 

たいせい

 しゃくとりむしさん、そのTVは見逃してしまいましたが堀川高校-探求科は「モチベーション喚起型」の大きな成功例として大きな興味を持っていました。
 私自身は、前に記事に書いたように(本文中に紹介した記事です)詰め込み型の学校教育になじまず、探求型(?)で自分自身で興味を持てるものを選び、調べ、考える事によって様々なことを勉強させていただいたと思っていたのですが、世間一般にこのやり方が適応できるのかどうか?(不安がありましたがたまたま私の性格と親の方針が上手く適合した特異例なのかもしれぬとの疑念も持っていました)、堀川高校での成功例を耳にしたとき、原理原則として通用するものであったのだと自信を持つことが出来ました。
 反面、「規律や知識の集積の中でこそ真の個性や応用力が育つ」との考え方にも傾倒できるものがあり、まだ結果は出ていませんがトヨタ自動車が中心になって作った全寮制中高一貫校「海陽学園」の今後にも大きな期待を感じています。

 結局、方法や取り組み方の如何を問わず「終始一貫した教育方針」こそが子供を育てるのではないのか?などという曖昧な結論しか出せないのが、今の私です。

 niice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-12-07 10:28) 

たいせい

 浜松自宅カフェさん、うちも子育て4年生で逡巡することしきりの毎日です。(今のところ、それを楽しいと感じています)

 家の子供スペースについてなのですが、私の場合、子供の年齢や成長度合いにも依りますが、子供にも親に見せなくて済む独立した世界がどこかに必要だと思っており、どこかの段階で個室を持たせたいと考えています。
(子供が作る気になればそんな世界はどこにでも作ることが出来ますので、ある程度目の届くところで作らせたいとの考え。:もちろん相互信頼がベースに無ければ成りません)
 少なくとも子供の勉強なり趣味をおもんばかって、静かにしなければならない、友達を呼べないなど、親が行動を制限される状況は本末転倒のような気がします。
 どちらが良いかはそう簡単に結論のつくことではないと思いますが、いずれにしても、子供にとって大切なのは「親が終始一貫していて、ぶれない」と言うことが一番大切だろうと感じています。

 「共育」と言う言葉は数年前に初めて耳にし、深く感じ入りました。
 まだ先は長いですが、子育てを自分自身の成長につながるものとして、前向きに取り組んでいきたいです。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-12-07 10:59) 

こう

 昔は、子どもが家の手伝いをするのがほとんどだったようです。
 また、近所の付き合いもあったので、自然に家庭と地域で子どもの教育をしていたと思います。
 その時代の学校は勉強の場である要素が強かったに違いありません。

 今の時代に子どもに仕事をさせて、社会勉強を学べるようにすることはできません。(キッザニアとかはあるようですが)
 そこで、やはり地域住民と一緒に活動する機会を設けて、様々な文化や生活や他人の考え方などを体験、見聞きすることで何かに興味を持ったり、興味を追求したりできるチャンスが必要だと感じています。

 家庭の教育は大事ですが、出来ない人が沢山いると思います。私のように教育に自信が無い者は、子どもと一緒に地域の中で学ぶことが必要ではないでしょうか。
by こう (2007-12-07 12:44) 

doga-n

おじゃまします。ニュース枠からきました。
私の所はもう高一ですでに子育てに失敗したと確信していますw
by doga-n (2007-12-07 16:48) 

いいテーマですね!
私と旦那の場合、学校の成績は正反対でした。
ま、自己申告なので信用性は?ですが(笑)

お互いの育てられ方を比較してみると、
私は父に完全支配(軍隊並み)され、母は私のよき理解者でしたが、
旦那は放任されていたので叱られた記憶がないそうです。

そしてそれぞれの性格は、私はいつも叱られるのではないかと
ビビリまくっていますが、逆に雑草のような気力を持ち、
旦那は親に導かれたことがないので迷うことが多いようです。

私たちの親の失敗(笑)を踏み台にして、より良い方向に
子どもを育てて行けたらな、と思っています。

話は変わりますが、知り合いの人が「孫が幼稚園から保育園に
変わったら、行儀が悪くなった」と嘆いていましたが、
私はそれは本末転倒だと思い、思わず
「そんなの家庭のしつけじゃないの?」と言ってしまいました。
by (2007-12-07 17:44) 

勉強が嫌いで、悪いことをするもので、ほっておくと悪い方向にしか進まない・・・・・それって私じゃないですか(爆)

子供って、不思議ですよ。いつも学ばされます。彼女たちが私から学ぶことは少なそうですけど。
by (2007-12-08 00:40) 

たいせい

 こうさん、昔も今も子育てにあまり関心のない方の比率はそれほど変わらないように思っています。
 むしろ、昔の方が生活に追われて大人は忙しく子育てに関わる時間は少なく、「親はなくとも子は育つ」などの言葉に象徴されているように、子育てへの関心も今よりも低かったように感じています。
 極論かもしれませんが、親が子供に関わりすぎて、かつては子供達どうしで幼い頃から形成されていた子供同士の社会を、関わりすぎる親の存在によって壊してしまっているのではないかと思うこともあります。
 少なくとも、子供と同じ目線まで親が降りて友達どうしのような親子関係を結ぶのはどこかおかしく、「育てるもの」と「育てられるもの」との適切な距離感が本来あってしかるべきではないかと、あれこれ最近考えています。
(子供との友達のような関係は、遊んでいて楽しいですし、何よりも親としては「楽」なのを私自身実感していますが。)

 地域社会について、本当に仰るとうおりですね。
 私は、隣近所の方達と交わるのがあまり得意なタイプではないのですが、地域社会の中に、うちの子供を自分の子供のように叱ったり、接していただける人が何人か出来ると素晴らしいと思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
 
by たいせい (2007-12-08 12:34) 

たいせい

 ponさん、はじめまして。
 高一のお子様を持っていらっしゃると、たかが4年しか子育て経験のない私の書いていることは、机上の議論で、おそらく青臭く感じられるのではないか?と思います。
 自分自身の育てられ方や当時の経験に、自分の身の回りで見聞きした現在の状況を加味して書いているつもりではいますが、ようやく親業が始まり子供と一緒に育ち始め、ようやく勉強を始めたにすぎない人間の書いていることですので、是非ご意見などお聞かせいただけると嬉しく思います。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
 今後もお気軽にお立ち寄り下さい。
by たいせい (2007-12-08 12:43) 

たいせい

 ぺんたごんさん、うちの場合は妻も私も三人兄弟の長男長女でのびのびと育てられたのか?、二人とも恐るべきマイペース夫婦です。
 マイペースとは言ってものそのそしているという意味ではなく、人の評価や世間体がほとんど気にならず、自分で考え決めたことが正しいと信ずることが出来るという、妙な取り合わせでの似たもの夫婦だと思っています。(性格の味付けでは違う部分も多々ありますが)
 結局、自分たちの今の性格が出来たのは、親が自分の考え方を押しつけず、子供が決めたことを支持し応援してくれたことによって出来上がっており、出来ることならば自分の子育てもそうありたいものだと考えています。
 ただ、長女の「青葉」の生来の性格がやや引っ込み思案で、実際の子育てはそんな考え方をベースに置きつつも、少しずつ親の方で誘導してあげるような味付けが必要そうで、試行錯誤を繰り返しています。
(キーワードは、「お前はスゴイ!」「自分に自信をもちなさい!」といったところ)

 nice! &コメント、ありがとうございました!

PS.
 保育園や幼稚園、園によって育児の方針に違いがある場合も確かにあるような気もします。
 子供の自主性や創造性を重んじて、自由に振る舞わせることを主眼に置く場合もあるようですし(放任という意味ではありません)、行儀作法や集団としての規律を重んじる場合もあるのかもしれぬと感じています。
 うちの場合は、家庭での躾以上に保育園での躾の方が常に先行している印象で、保育園にはご迷惑をお掛けしているような気がしています。
by たいせい (2007-12-08 13:19) 

たいせい

 STEALTH さんの、ご両親や学校の教育が失敗だったら、日本に成功事例は存在しないことになってしまいますよ!
 BLOGで時折垣間見させていただく親子関係も最高ですし、以後「師匠」と呼ばせていただかなければと思っています。

 nice! &コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2007-12-08 13:24) 

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