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悲しき軽運送屋の顛末記-19 [顛末記]

2006年、ここのところまた新東京国際空港が騒がしくなってきた。開港以来二十数年だがいまだ「過激派」がゲートを突破したりして物騒なニュースがテレビで放送されている。、きっとまた警備が厳しくなったのではないかと思っている。仕事に入る業者達も大変だろう。


★Photoはイメージです

空港に常駐するようになって3年近くの月日が経った。貨物地域も1.5倍に拡張された。その頃には待機しているトラックが邪魔になったのか端の方に待機場が出来た。大型用なのだが、私たちもそこへ車を停めて。掘っ立て小屋だが中には飲み物の自動販売機、テーブルと折りたたみ式の椅子、皆で仲良く? テレビを見られるようになっていた。勿論、トイレと警備員もいる。携帯も全員が自腹で常備させられ、現場からはそこへ連絡が来るようになった(今現在の出庫のプロセスはどうなっているか分からないが)。

逆に言えば現場から離れているので、しかも個人的に連絡が来るので順番を確認する術はなくなり、「えこひいき」されても分からないと言うデメリットも出てきたが、狭い車の中や冬は寒く夏は暑い(当たり前か)貨物場にいなくてもよくなった。勿論、その部屋はエアコン付きなので。
しかし決して待遇がよくなったわけではない。相変わらず、というよりライバル業者が増えただけ運送費がダンピングされていった。12,000円だった東京行きが8,500円まで落ち込んだのだ。ガソリンと高速代を使うと半額になってしまう。自給にすると800円くらいか。これでは他のパートと同じではないか、自分の車と言う設備投資をして「経営」している意味がない。流石に行きたがらない奴も出てきた。つまり、遠方の儲かる仕事が出るまでパスする会員だ。平等を考えれば出た荷物を順番に手配するのが普通で、たとえばタクシーもお客を選んで乗せるのではなく並んだ順に送迎していくのだから、条件の良い荷物が出るまで待つのは「ワガママ」というものである。中には細かい仕事を回数で稼ぎたい奴もいるので話し合いで譲るのを文句言う筋合いではないが。

その間にも新人が増え40名ほどに…私はどんどん古株になった。一日中冗談と世間話で何人もの会員が仕事からアブレ、無収入で定時まで待ち、そして帰っていった。そんな状況なのだから、一年以上経った奴は待機場にいて間を抜かされることが心配になってくる。勿論ベテランの社員も一人(以前の顛末記で書いた若い社員はいじめで辞めていった)になって漁夫の利を得たように自由奔放に振舞っていた。女性も相変わらず、チラリと顔をだす。何も変わっていないのだ。要らない奴の間引きも同じく変わっていない、切られた人間が次から次へ消えて行くだけだ。

そうして、私の肩叩きが始まった。暫くの間は私の地元の仕事が量的に増えてきた。つまり空港の仕事を徐々に減らしていこうと言う作戦だ。一日中、待機場で待つ時間も増えてきた。「おかしい?」と思い始めた。いや、私だけではなくアブレている会員が半分以上。また社長の悪い癖が始まったのだ。
これは黙っていられないと思ったが、すでに遅かった。社員と社長が話し合い、決めていたのだ。
「ここは人員も一杯だし、貴方の地元も忙しくなってきたらしいので、一度帰ってくれないか」と話を持ちかけられた。あれ、どこかで昔聞いた言葉だ。そう、地元にいたときに社長が空港に行けと説得する、あの言葉に似ていた。簡単に言えば、一応空港だけだがリストラの宣告だ。経済的にはギリギリだが、何もかもに慣れ体も楽になってきた頃になって「今月いっぱいで」と言うことになった。
そう、D社の〆は月末なのだ。

[こんなことがあった、その12]
いよいよ空港から引き上げる時が近づいてきたある日、成田の地元から仕事が出た。小規模の運送会社への助っ人だ。大型トラックに載せきれない荷物を2台の軽1Boxで応援に行くことになった。現地に着くと待っていたのは女性2人、一人は受付らしい。もう一人は運転手だろう。二人とも「茶髪」「ピアス」今でこそ当たり前だが、十数年前のその姿は確かにヤンキー上がりである。そこにはパレットにうず高く積んだ商品が…いくら古株と言っても運送業で言ったらまだ3年弱の初心者の私、その目から見ても絶対に軽自動車に収まらないほどの量である。
金を出して頼んだからには、一つでも多く配達させようと言う魂胆が見え見えだ。要するに自分が楽をしたいと言う事。私の車が四駆であることはすでに記したが車格で言うと荷を運ぶ純粋な商業車とは違い内装が施してある。床は一応ゴムマットで保護してあるが天井には軟らかい素材で標準装備の内装が施されている。2台の軽自動車には二人の女性によって商品がギュウギュウに詰め込まれ、さらにこれでもかと載せようとしている。完全な重量オーバー。しかも私の車の天井は傷とへこみで見る影もなくなった。
勿論、車は仕事の道具だ傷さえ付かなければどんな注文にも応じるのがプロである。ただ私には二つの理由で極力、車を綺麗な状態にしておきたかった。
一つはお客に気持ちよく荷物を迎えてもらいたいから。ヨーク見ると分かるが大手運輸会社のトラック(宅配でも)で凹んでいたり、泥だらけで配達に来る業者はいない。失礼なだけでなく、傷などがあれば「ウチの会社は荒い運転で商品なんかも粗雑に扱ってます」のイメージになってしまう。信用問題である。もう一つは3年も経てば45万kmの走行、そろそろ買い替えの時期である。私の車はそれでも艶は維持していた。暇な時には隣で寝ている会員の皆さんを尻目にシコシコと水洗い、ワックス掛けをしていた。そう、下取りに出した時にいくらかでも高額買取をして貰うためだ。だから荷物は自分で丁寧に積んで丁寧に運ぶが私のモットーだった。が、この仕事で見事打ち砕かれた。

配達が終わって帰ってきたのが、夜8時を回っていた。仲間の会員はまだ帰ってきていない。が、請け負った会社の女性運転手はとっくに帰ってきている様子。やはり自分の受け持ちは大分減らしたようだ。金を貰っているのだからそれも良い。が、次の日に空港の社員荷連絡が入り「あの人は二度とウチでは使わない」と言うコメントを頂いたそうだ。私も「二度と行くか」の心境である。それにもう直ぐ空港ともこの地元ともお別れだ。有終の美は飾れないが飾る気もない。
読む諸兄によっては「私のワガママ」ととられる方もいるだろう。特にこの業界の人は…しかし車は私の大切な資産だ。誰に傷つけられても自己責任で直さなければならない現実を考えれば、大切に扱いたいのも人情だろう。大工やそのほかの職人が道具を大事にするのと同じである。人にとやかく言われる筋合いではない。


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