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悲しき軽運送屋の顛末記-13 [顛末記]

以前にも触れたが、私の文章は我ながらクドイと思う。なぜならば運送関係者ならば「そんなクダクダ説明されなくてもわかってるよ」という諸兄もいるかと思うが、これから軽運送でもやろうかとか、関係者以外の人にはわからないことがある。読みにくいことは承知しているがお許しいただきたい。文才が無いのも原因ではあるが。

この仕事、特に空港内は男の世界である。事務仕事ならともかく、その昔の「ここ」はムサイ野郎ばかりだった。空港で組織化(一人一人でバラバラに荷積みしていたものを手配係を置いてグループに)したD社の中で一年くらいした頃から派閥が出来上がってきた。当然、顔ぶれの入れ替えは激しい。以前、記したようにロイヤリティでの利益を上げるには古株は辞めて貰わなければならない。半分くらいは居なくなり、また新しい人が入ってくる。が、なかなか諦めない者も何人かは居るものだ。大体が以前から運送にかかわってきている奴らである。大型トラックを転がしていたもの、大手の運輸会社に属して4t車で従事していたもの、他の軽運送から移ってきてもう他へは鞍替えできないもの等、経歴はまちまちながら時が経つに連れて「お邪魔虫だよ」といわれても根性の座っている人たちである。

そんな中で2組に分かれてタムロするようになり、その他に車の中やバラバラに待機する中立を通す私のような者…もともと組むのが嫌いなタイプがどこにもいるものだ。また親分になりたがる奴も。
派閥なんてこんなチッポケなグループなのだから必要はないし、協力しあったほうが得だと思うのだが世の中どちらを向いても「それ」があるものだ。

公にはやらないが、順番待ちの割り込みや待機中の場所取りなどだ。一番で空港に来た者の派閥の会員の方が仕事の回りが良くなる。なんてことが始まる。「お前よりこいつ(同じ派閥の者)の方が先に来ていた、順番は俺が取ってあった」なんて言い合いが始まったりする。くだらない気もするが、これが自分たちの死活問題になるので見逃すわけに行かないのだ。また空港以外の地元の仕事が自分に出た場合、たとえ敵の派閥のものが次の順番であっても同じ派閥の後の者に順番を譲ったりしてしまう。

手配係も2名いるのだが上下関係がある。ベテランと若い従業員。どうしてもベテランがデカイ顔をして支配的になる。なので若い方に仕事の話をつけてもどうしようも無い。小間使いになってしまう。どこの社会でも主従関係はあるものだが、まるで主人と奴隷のように見えてしまう。それが会員にも影響し、どうしても若い社員は役に立たない=疎外されてしまう。当時を思い出すとD社の正社員にも係わらず皆が呼び捨てにし、格下に見ているのは痛々しかった。自分で言うのもなんだが、唯一私だけが彼に対して敬語を使っていたことを覚えている。人間としてのマナーかと思っていたが、それを他のものは役に立たない媚を売っていると勘違いしていたらしい。
特に派閥に入っている会員はベテランへの付け届け(と言ってもコーヒーや甘味物)をして自分たちが有利になるようにとアカラサマ。
それを見て中立派は「そこまでするか」の心境で呆れ果てて何も言うことは無かった。ただ自分たちが除け者にならないようにしっかり見張っているだけである。


★Photoはイメージです

[こんなことがあった、その6]
私の本当の所属は空港のある「成田」ではない。そこから60kmくらい離れた地元である。空港は出向という形なのだ。なので地元の仕事が忙しくなり、人員が足りなくなれば「来てくれ」と直接連絡が入る。
当然、空港の手配係に断っていかなければならない。殆どの場合会員と一緒の場所で係員も待機しているので私が地元に戻って仕事をすることが耳に入る。声高にはしていないつもりなのだが、かと言って秘密にする必要も無いと思っていた。
それが会員の心証を害した。空港の仕事以外に自分だけ掛け持ちをしていると思われたのだ。正確に言えば他の会員たちも地元の仕事が忙しくなれば優先的にそちらに出向いているのだが、よそ者が両方の仕事をしているのは不公平に映ったのだろう。

ある日を境に村八分的状況に陥った。どことなく私との会話が無くなりシカトされるようになった。手配係にも訴えがあったらしい。私の知らないところで。それを教えてくれたのが若い従業員である。仕事の順番の情報も入ってこなくなった。勿論手配係は私の「掛け持ち」は容認していたので何のペナルティも無いのだが、こんなことが半年も続くと精神的にも辛くなる。ましてや、2台で配送という時もあり、私と一緒に行動することを嫌う会員も出てきた。

手配係のベテランが体を壊して入院したことがあった。皆で見舞いに行こうと言うことになり同行できるものと思っていた。しかし、他の者たちは私の知らないうちに金を出し合って「お見舞い」を作り病院へ行ってしまった。一人のけ者であった。後で一人で見舞いに行ったが、それをしなければ仕事復帰した時にどんなことが起こることだろう。まったく根暗な世界である。

結局、この状況は派閥のボス的人物が辞めるまで続いた。原因は手配係との順番を巡っての言い争い。勿論D社の作戦である。「辞めてもいいんだぞ」の言葉に思わず「ああ、辞めてやる」の受け言葉であっけなく仕事を無くすはめになった。私を村八分にすることを会員に強要したのも、その人物だったのだ。しかも、ご丁寧に敵である派閥の人達まで巻き込んで。
数日後に退会の手続きを終えた彼は私を皆の前に呼んで「今までの仕打ち」の侘びを言った。私はただ頷いただけだった。辞めていくものに何を言えばいいのだろう。文句、それとも同情の言葉? そうしてこのくだらない派閥争いは無くなった。ちなみにもう一つの派閥のボスも体力を理由に数ヵ月後に解雇された。また平穏な日々が戻ってきた。と私は思ったのだが…


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