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アートスフィア「ナイン」観劇 [┣ミュージカル・音楽劇]

昨年の初演、かなりの不入りだったにもかかわらず再演された…ということは、と、関係者の絶対の自信を感じて観劇した。

「ナイン」

脚本:アーサー・コビット
作詞・作曲:モーリー・イェストン
翻案:マリオ・フラッティ(イタリア語から)
翻訳・訳詞:青井陽治
演出:デビッド・ルヴォー
衣裳:ヴィッキー・モーティマー

出演:別所哲也、純名りさ、高橋桂、花山佳子、池田有希子、大浦みずき、田中利花ほか

ストーリー:グイド・コンティーニ(別所)は映画監督。天才監督ともてはやされたのも今は昔。ここ3作は不入りの駄作で、妻からは離婚を切り出されている。関係修復のために夫婦はベニスのスパで静養をしようとするが、そこへ、愛人やら新作映画のプロデューサーやらがおしかけてくる。グイドはだんだん精神的に追い詰められ、幻を見るようになる。妻や恋人や愛人や死んだ母や…遠い昔の9歳の自分を。彼は、体は大人でも精神は9歳の少年のようなものだった。そして、彼の女遍歴も9歳の時から始まっていた。

ごめんなさい。このテーマ、私、だめだわ。
こういう、子供のまんま大人になっちゃった迷惑なヒトが身近にいますからね、腹が立ってしようがなかった。
最後、自殺しようとする場面があるが、「死んでしまえ」と思ってしまったくらい。
(もちろん、それが劇中の人物だからこそ、そう思うのであって、いくら迷惑でも実在の人物にはそんなこと思ってませんよ。)
ま、そういうわけで、ちょっと私情が入って、私は、物語にうまく溶け込めなかったが、実際、客席も空席が目立っていた。たぶん初演に比べれば、かなりいいのだと思うが、それでもブレイクには至らなかったようだ。一部に熱狂的なファン(ナインフリーク?)も生まれているようなので、それはそれでいいことだと思うが、もう少しメジャーになるには、今の上演方法では無理かもしれない。
純名・高橋・池田・大浦・田中…このキャストは素晴らしい。が、たぶんこれ以上の集客をはかるには、彼女たちをもっと知名度のあるスターに取り替える必要があるのかもしれない。
たとえば純名の代わりに松たか子とかね…。田中の代わりに森公美子とかね…。大浦の代わりに木の実ナナとか前田美波里とかね…。(あぁ、通俗的だ…!)でも、商業演劇ってそういうものだと思う。
現にブロードウェイの「ナイン」だって、著名なスターを使ってのヒットなのだもの。
再演の目玉、別所哲也。…これはミスキャストなんではないか?演技のひとつひとつ、ナンバーのひとつひとつを見ても、彼の役者としての誠実さが滲み出ている。それが、この作品に違和感を醸し出している気がした。
ブロードウェイ・ガラ・コンサートで、村井国夫がこの役をやりたいと言っていたが、彼の方が似合いかも…と思った。必要に応じて、いくらでも不誠実を演じることができる役者だし、芝居の中で遊べる人だから。ま、40歳という主人公にはちょっと年が行き過ぎているのが残念だが、日本の場合、40歳で大人になり切れていないヒトなんて珍しくもない。50歳くらいの方が、不良中年のイメージが出るというものだ。ここはひとつ50歳の主人公で、どうだろうか?
ナンバーはどれも美しかったが、大浦の「フォーリーベルジェール」の場面は、まさにショーストップに相応しい場面だった。衣裳もステキだし、タンゴの場面の美脚は宝塚時代と少しも変わらず…。
池田の演じたカルラの空中シーンは、退場の鮮やかさに目を見張った。が、バスタオルがめくれてしまったのがちょっと残念。(そこが見えちゃったんでは、隠している意味がない…というめくれ方だった。)

たぶんこの公演の売りはデビッド・ルヴォーの演出なのだと思うが、オーディションで選んだ配役からはじまって、様々な演出に至るまで、すべてが日本ではそれほど効果を見せていないと思う。途中、イタリア語で怒鳴りあう場面などは、意図がまるで見えなかった。
ついでに言えば、青井陽治の訳詞も今回はちょっといただけなかった。漢語的・熟語的表現が多く、それを早口で歌わせるので、歌詞が聞き取れないケースが多かった。
あと、主なキャストとアンサンブルの区別がつかなかった。(アンサンブルに役名がついているのが原因。エピソードをひとつも持たない女性たちは、グイドの恋愛遍歴のどこかにはいるのだろうが、やはりアンサンブルとしての位置付けをしてほしい。あとになってキャスト表を見て混乱した。)


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