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中国と国際法。人権 [国際法・国際関係]

前回記述したように中国人と東シナ海について論争してきたわけですが、

意外と、というべきか国際法上の実りある実質的な議論ができたので、特に書くことがなくなってしまいました。僕としてはTVタックル並みの大論争になると思っていたのですが、ちょっと偏見が入りすぎていたのかもしれませんね。反省。

結論はICJ(国際司法裁判所)にいったら、日中中間線よりの東側、つまり日本側に移動する。ただし、中国の主張するようなに、中国200海里または沖縄トラフまではいかない。ということです。

日本の皆さん。あまり怒らないでくださいね。法的に見たら確実にそうなるのですから。理由は後に。

ところで、今日はおもしろい話を聞いたのでそちらについて、中国の人権問題です。

中国政府に人権概念がない、もしくは意識が薄い、ということがよく右の人から指摘されますが、
これはある意味正しいですが、ある意味間違いです。

確かに中国は「人権」に大して抵抗感を覚えています。しかし、ここでいう人権とは何でしょうか?
我々が「人権」を言う場合、表現の自由、結社の自由、身体の自由などの自由権、国家からの自由のことを言っているのが通常です。

ですが、人権といって自由権が中心に考えられるのはたぶんに西欧中心主義的なものなのです。西欧では国王の権限を制限するという経緯の中で、人権が生まれました。したがって西欧の考える人権は自由権中心的なのですが、当然これは西欧の歴史的文化的な事情によるものです。

そしてそのそもそもの前提となってたのが絶対王政以降、強力な権限が中央に集中しており、多くの市民が豊かであったということです(初期の市民とはブルジョワのことで労働者とかの西欧における貧しいひとは含まれていません)。後に社会権も成立しますが、自由権中心の考え方が変わることはありませんでした。

自由権はその前提として、自由権を保障するための国家制度が整っていること、そしてなにより、国民が豊かであることが前提です。自由権を保障する前提で国家からの積極的な施策求められている、ということもまた事実なのです。

所謂、国家の発展の権利もここから捉えられるべきであり、日本人が至高のものとして、なかば無意識的に考える自由権とは社会権に優越するものではなく、相互補完的なものである、ということがいえます。

中国政府は、社会権、とりわけ生存権を重視します。中国国内には貧しい人が多くいます。自由権の保障の前にまず全体として豊かにならなければならない、と考えるわけであります。その意味で明治政府の殖産興業に通じるところがあります。

また、中国政府は人権問題を国内問題であると考えます。これはかつて日本、欧米の列強から侵略を受けた過去の経緯から外国からの働きかけを極度に嫌う傾向があるからであると、言われています。過去の経緯から、主権の絶対性に固執し、人権よりも重視しているといわれています。

例えば、米国はクリントン時代とかに中国の人権状況を批判し、しばしばその改善を主張してきましたが、中国は国内問題であるということで反発しています。なお、この際米国が批判したのは主に政治的自由であり、その他の人権問題には批判をしていません。また、サウジアラビアなどの友好国には人権状況の改善を要求しないなど、こうした米国の態度に自由権中心主義的であり、ダブルスタンダードであり、かつ独善である、と反発をしています。

以上のような考え方はそれ自体としては、妥当性があるものも多いと考えます。

ただ、それで中国の行動がすべて正当化できるとは考えません。

そもそも上のような考え方には、独裁制度、非民主的政治の口実として濫用される恐れがあります。経済発展のためには何をやってもよい、というわけではないのですし、まして独裁政権の継続に利用されてはならないのです。

民主化を行うこと、表現の自由を保障すること、これらが大事であるとしても、
経済発展のためにある程度よくあつされてもやむを得ないのだろうな、と考えます。
そもそも中国は自由権規約に入っていないので、法的に守られなければならない人権は少ないということがいえます。

しかし、そうであるとしても、それは発展のために必要な範囲内において行われるべきでしょう。そして経済の発展に伴い、段階的に人権保障を高めていくべきであると考えます。

そして、そもそも生存権重視といいながら国家は人民のために果たして積極的な施策を行っているかは、不透明であります。生存権を優先的なものと捉えながら、法制度的には為政者の道義的な責任において行われるべきものとしてしか、生存権が認められておらず、法的に請求する権利が人民に認められていません。

また、社会保障も、よもすればアメリカより低い状態であり、現実的に生存権が優先されている現状があるとは思えません。

中国は、経済全体を大きくすることで、貧しい人を減らしていくということを考えているように思います。たしかに中国の人民は豊かになった人もいます。しかし、これは沿岸部の3割でくらいの人であり、のこり7割くらいの農村にいる人は貧しいままです。にもかかわらず沿岸部の人が豊かになることで貧富の格差が拡大しています。しかし、社会保障が行われているかといえばそうではありません。

この農村問題がこそが中国の最大の問題です。農民は中国の中では職業あるというよりも、身分です。都市部にいっても農民出身であることがわかれば差別されます。7億人以上の貧しい農民をどうするのか、彼らの問題を解消するための方法を中国は未だ確立できていません。
調査によると中国では100人以上の農民の一揆が75万件以上、年間で起こっているみたいです。
GDPは高くなっていますが、それだけでは見ることのできない問題がここにはあるのです。
こうした農民の貧困を解消するためにも本来は日本のODAは削減されるべきではないのかもしれません(とはいえ、現在の中国政府がODAをどこに使うのかが不明確なので、なかなか難しい問題です)。

こうした内政面を考えれば、中国が現在に軍事的な野心を考えず、経済発展、国内経済政策に集中したいのも分かるような気がします(「キッシンジャー2006年大予測」の回などの記述を参考)。

ここまでが、中国「政府」の問題ですが、中国「人民」の人権意識もまったく別個に考えられるべきでしょう。

人々は政府の考え方をそのまま鵜呑みにはしていません。中国の人々の人権意識も高まってきています。
人権という言葉自体、かつてはタブーでした。しかし、今はpopularなものとして知られるようになっています。経済的自由も、都市を中心にしてかなり自由になってきました。政治的権利も、表現の自由なども緩和されてきていることが言えます。かつては中国政府より意見しか言えなかったのが、必ずしもそうではなくなっています。大学教授とかも、北京大学などで政府に否定的なことを教えても、程度によりますが、許容されてきています。これは実際に北京大学にいる先生から聞いているので確かです。学生も人権いついて研究しようとするものが増えています。まだまだ御用学者なども多いそうですが、それでもよくなってきている、ということが言えるのではないでしょうか。

集会の自由も、許可制ではありますが、緩和されてきています。ただし、やはり政治的な行動については多く制限はあります。反日デモは無許可で行われています。

思えば、戦前に日本で人権が認められていったのも、漸進的でありました。自分が人権を保障すようになってからは、まだ保障していない国に、遅い、早くしろ、というのではフェアでは内容に思います(重大な人権侵害は別ですし、反日教育などについても別だと僕も考えますが・・・)。

人権問題について言えば、共産党支配の口実になっている場合は別ですが(こういった面がないとは言いませんが、こういった面しかないと考えるのはあまりに一面的です。明治政府の長州・薩摩閥が腐敗・人権侵害を行いつつも、日本のことを考えていたのと同じです),
中国の人権問題を鬼の首をとったように批判しすぎるのはどうかなー、と個人的には思います。(日本人がやられてる場合はちゃんと主張するべきですけど)

と、いったところで、今日の思索は終了。


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