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表現の「ツボ」 [mamaruのこぼれ話]

昼寝をしようと次男を寝室に連れていったら、次男が木の輪っかの形をしたがらがらを握っていた。
布団の上に寝かせたら、ぽとりと落ちたがらがら。

うららかな春の昼下がりの、ほんわかとした日だまりの中で、私と次男でごろごろとしていた。
そのうち、私はがらがらを手にとって、顔に当てて「眼鏡~♪」って言ってみたり。
電車のつり革に見立ててぶら下げてみたり。

そうやって遊んでいるうちに、シンプルなそのがらがらは、木でできている美しいがらがらである、ということだけではなくて、手触りも、音も、形も、これは子どもが楽しめるように、って、制作者の思いがぎゅっと結晶して、なるべくしてこの形になっているんだなぁ、って分かった。

いいおもちゃって何だろう、って考えて、結局、ほとんどのおもちゃがいいおもちゃになり得る(http://blog.so-net.ne.jp/mamaru/2007-03-18-1)という結論には達したのだけれども、とってもいいおもちゃ、と言われるものたちには、それだけ多くの、混じりけのない、子ども達への思いが詰まっているんだな、と思う。

だからこそ、大量生産もできないし、値段も高くなる。

でも、そういうのは、自分で宣伝をしなくても、ファンは産まれるし、必ず、その価値が評価される。

ネフ社の製品も、大人は一瞬、その美しい形や色のデザイン性の高さ、ということで評価しがちだが、おもちゃの場合は、そのデザイン性も、それがデザインのためのデザイン、ではなくて、こどもの感性を豊かに刺激して楽しく遊べるように、という想いの結実だからこそ、美しいのであって、形だけ、美しいわけでは決してない。その証拠に、大人が見たり飾ったりして楽しむだけでなく、子どもが自分のおもちゃとして豊かに遊べるんだもの。いや、おもちゃで遊ぶことなど忘れた大人も、夢中で遊んじゃうんだよね。あれは。

絵本にしたってそうだ。

最近、浴びるほど児童文学、絵本に触れて、また同時に、その対象である子ども達にどっぷり浸かって観察していると、優れた絵本は、それだけこどもの世界を的確に切り取っていたり、想像の世界であっても、そのこどもの世界を立脚点にして、広がっていったものだ、ということがわかる。

キャラクター云々ということではなく、観察力と想像力の行き着く先が創造力なのだ、と。

だから、その子どもを観察して、その子どものことを思い続けているママは誰しも創作者になれる。

もちろん、プロの作家さんは、それだけ幅も広ければ、スキルも高いし、子どもの有無にかかわらずそれが成し遂げられる、という違いはあるけれど、毎日、自分の子どもにお話をしてあげるくらいのことは、子どものことを毎日見て一緒にいるママなら、きっとできるはずなのだ。

そのお話がたとえ、むちゃくちゃで落ちがなくても、いいのだ。
ママがこどものために作る、世界で一つのお話であること。
それが素晴らしいのだから。

ま、でも、プロは違うけどね。プロの話はそれなりのクオリティが必要だもん。

結局、おもちゃに限らず、写真でも、文学でも、書道でも、音楽でも、絵画でも、はたまた、結婚式のブーケのフラワーアレンジやコンサートやイベント、講演会の企画といったものでも、お料理やお酒の世界でも、農業でも、ビジネスでも、ホームパーティや旅行、日常生活でも、そのすべてにおいて、「いい仕事」「楽しいこと」「優れているもの」というのは、どうも、こうして、人間やその営みを、どれだけ観察して、そこから想いを広げていけるか、ということにかかっている気がする。

対象が具体的にいるのなら、その人をどれだけ深く感じてその人のために、表現できるか。
対象が集団になったとしても、その集団にどれだけ深く想いを寄せられるか。

で、極めていけば言っただけ、「プロ」と呼ばれる存在に近くなる。

もちろん、表現するためには、その表現手段においての「スキル」も必要なんだけど、それは二の次で、まずは、人間やその営みへの興味や愛情、そして、どれだけそこに「想い」を託せるか。その能力が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、仕事は豊かに、また、幅を広げ、結果として、スキルも、高くなっていくんじゃないかな、と思えてくる。

私が進学先を決めるとき、いつもはクチを出さないじいじが、
「四年制の総合大学にいけ」
と言った。
「写真がやりたければ、大学を卒業してからでも身につけられるし、俺は教えられる。だから、大学に行って、いろんな人間を見てこい」
そういったのだ。

そして、私は、一年間の浪人を経た結果、母校・早稲田大学へと進学した。
じいじが、いつも、ラグビーや駅伝を応援していて一番身近だった大学。
ま、たまたま幸運にも受かったというのはあるんだけど、自然と第一志望にしていたのだ。

家庭の事情で写真の技術を身につける道に進んだ彼が、たぶん一番行きたかった場所。
なぜなら、そこが、どれだけ豊かで、いろんな経験をできる場所かを知っていたから。
それは、たぶん、社会に出る前の彼ではなく、社会に出て、そこを出た人間と仕事をして、そのときに、そこに行っていればもっと自分を広げることができた、と分かったから。

もちろん、じいじは、大学に行かずとも、それを成し遂げたことは今の彼の生き様と背中を見ていればわかることだが、でも、行かなかったからこそ、その価値が分かり、子どもを進学させたい、と強く感じたのだと想う。

まぁ・・・そこで私が何をしてたかっていうと、ぼーっと授業に出て、授業を記録することや自分のツボにはまる課題のときは熱心だったけど、ときにカンニングしたり、一夜漬けしたり、さぼってドライブにでかけたり、サークルでバスケットしたり、麻雀したり、朝まで飲み明かしたり・・・と、たいしたことはしてないんだけどね(笑)。

でも、物の見方のイロハは、そこで学んだような気がしている。

で、話は戻って「表現」のほうだけど、文学の生産者として華々しい活躍をしている友人編集者に聞いたのだが、最近文学賞への応募が増えているけど、クオリティが下がってるって本当?と聞いたら、その通りなのだという。

独りよがりな内容なのかな、と思ったら、「てにおはがちゃんとしているだけでいい、って思っちゃうよ」と苦笑していた。

書道などでも、新進気鋭の書家として評価をされている方の中にも、文字の書き順というような書道のルールができていない方がいるということだ。

こういうある程度のルールが明らかにある表現方法ですらそうなのだから、音楽や美術など、一見して「前衛的である」と自分で思いこみやすい表現方法だったら・・・。

余談だが、木の葉さんは五線譜もろくに読めなかった趣味の馬頭琴弾きで、すぐに子守にかり出されるので練習もろくにできずスキルと言われれば「わはは!おばさんの遊びだもん」と言うようなシロモノだが、師事していたモンゴルの人間国宝みたいな先生に、すごくいい演奏だと褒められていた。スキルの高い人は他にもいっぱいいたけど、木の葉さんの演奏がいい、って。

それはなぜか。

それは、彼女ははっきりいってスキルはまだまだだけど、人間が豊かだから。
その曲やモンゴル、モンゴルの人々、そして、目の前の観客、いや、自分の暮らしやそのすべてを彼女が愛しているから、それが音楽の形で現れたのだ。

ルールが見えにくい、音楽や絵画だって、何でもあり、じゃなくて、やっぱり、人間の幅や豊かさがにじみ出てくるものだなぁ、と思った一こま。

建築なんかでも、格好はいいけど、暮らしてみると、えらく使い勝手がわるいよなぁ、っていうのもあるよね。例えば、この家で、子育てができるか? いや、ふたりの子ども抱えて裸で走り回らなくちゃいけないのに、この大きなガラス、カーテンできんやん!みたいなのとか。生活実感と伴わないデザインってたまに見かけるように思う。

かっこいいけど、使い勝手もいい。
用の美、を満たすような、そんな表現こそ、本当に優れたデザインなんだと、私は想っている。

そういう意味では育児だって、ビジネスだって、「表現」の一つである、というのは、今の私の実感。
それも、やっぱり、深い観察力と考察力、想像力があれば、効率よく、楽しく、また、高いレベルで仕事ができるんじゃないかと感じるのだ。

ということはつまり、人間は産まれた以上、何らかの表現をして生きていくのだろう。
いや、社会人になる、ということは、表現者になる、ということなのかもしれない。

そう思うと、わが子達には、普通の気取らない日常生活を、楽しく豊かに暮らしていける力を、一番に育ててあげたいと思う。そして、そこから自分を自分で伸ばしていけるすべを。

いつか、彼等が何者かになりたい、と思ったとき、何者にでもなれるように。

新進の指揮者として頑張っている方と話したら、指揮者になるには楽器も知らなくちゃいけないし、その曲の背景から、歴史、アレンジ、何から何まで、一曲振るために膨大な勉強をするんだって。
一流の演奏家だってそうだ。

スポーツで秀でた人たちだって、ただぼーっと運動バカと言われてやっているわけではなく、そのときに最大のパフォーマンスができるように、ありとあらゆる努力をしているのだ。
本人が、それを努力として、意識していなかったとしても。

でも、感じる力と、そのために何かしようと思うことができれば、きっと人は努力できるし、スキルも身につけていけるはず。

こどもたちが、自分自身と、自分の暮らしと、そして、自分の身の回りのすべてを愛せるように。
小さくて素朴な毎日の営みを、いつも楽しく過ごせる感性。
それだけを身につけられれば、後は勝手に、育っていくんじゃないか--。

ふっと、そんなことを考えた昼下がりなのだった。


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IMA.さん

本当に、スキルだけを追い求めるのではなく、人間や社会の様々な側面(決して一様ではない)を理解して、そういう現状に対する眼差しというか愛情というか価値観を育むことが何をするにも大事だと思います。

mamaruさんが書くブログはいつも読者に何かを考えさせますね~。僕もいろいろ刺激されることがあります。Mixiなんかでトピックにさせてもらっています。

でもまあ、よく書きますね(笑)。あとは、日本語って助詞の使い方が意外と難しいんだけど、意外と学校で習わなかったりしますよね~。
by IMA.さん (2007-03-20 16:39) 

mamaru

スキルっていつでも、やる気になれば身に付くんだよ。
芸術でも語学でもそうだけど。
やる気になれるか本気になれるか、ってところが肝心だけどね。

でも、物の見方はそうそう育たないからねぇ。
それこそ、三つ子の魂ってやつかもしれないなって思います。
IMA.さんちもこれからだわよ!!

しかし、私は考え深そうでいて、そうでないんだよねぇ。
本人の毎日はいたってのんびり天然ライフっていうかさぁ。
ぼへーっとしたもんなんだけどねぇ。

とりあえず自分の頭の中に、いろんな情報のかけらたちがいるでしょう?
それが、なんかのきっかけで、ぴたっと繋がって「わかった!」とか思うのよね。そうすると、それを誰かに話してみたくなって、書く、って感じ?

仕事も、そんな感じだから、必要が生じると、脳の引き出しから答えが出てくるから、後はそれをまとめるだけで、キーボードの入力速度と考える速度はほぼ同じだから、量産できるわけ。
これは、大学時代の不勉強のたまものですな(笑)。一夜漬けレポート!

2か月くらいのこどもが、じーっといろいろ手を眺めたり、しゃぶったりしながら、何かわからないソレの情報を脳の中に積み重ねていって、ある日、それが「自分の手」ってわかるって言うじゃない?
「蕗の地鰹煮」の記事で書いた養老さんの話にもあったけど。

なんか、あれと同じ訳よ。私の脳ってさ。
こどもと一緒なの。
だから、誰かに話したくてねぇ。
でも、旦那は忙しいし・・・こうして記録して、ストレス発散?みたいな(笑)

いつもつきあってくれてありがとうねぇ。
by mamaru (2007-03-20 21:06) 

駅長ママ

 おひさだす。あいかわらず長いが熱い、想いのこもったメッセージを描かれますな。

 これもひとえに培ってきた人生の賜物だな。

 それとて表現者、と認められる人物、職業ゆえではなく、「きちんと生活している」誇り、自負があるからでありましょうぞ。

 そうしたご家族に囲まれ育った貴方、そして楽しく充実した子育てをする貴方、立派でございます。

 絵本は、その中に完成された世界もあるかもしれないけれど、声に出してこどもに読み聞かせるときの親の声の抑揚、感情のこもりかたまでをも、こどもは観察していると思う。そしてそれを楽しんでいるのだと思う。

 赤ちゃんの頃から今に至るまでそれを感じております。

 そろそろ私のゆるりとした生活は終わるけど、また戻ってくるかもしれない。そのときは、シンプルで、カラダと心がきちんとつながって、無理をせず、背伸びをせず、でも少しの冒険と挑戦を楽しめる、そんな新たな自分として「ナチュラル」に生きたいと思います。

 人生の道を見失ってはいけませんな。道をつくるのは自分。辿るのも自分。その道をつくるために、方向を教えてくれたり、たくさんの矢印を知らせてくれた家族や友人たちに感謝しながら。
by 駅長ママ (2007-03-20 21:32) 

mamaru

そうそう、相変わらず長くて熱い、そして、ちょっとウザイ(笑)。
なんちゃって。
こういうことは、本当は言わずにそっと心に秘めておくのが奥ゆかしいのかもしれませんが、私は根がこどもだから、つい話したくなっちゃうんだよね。

そ。
人間が生きていくのに、無理は禁物。
こころとからだは繋がってるからね☆
どんなに無理しても、無理しなくても、結局、なるようにしか、ならんのです。

できるのは、毎日を、一歩一歩ゆっくり歩くことのみ。
道は歩くからできるんだよ。
そして、ゆっくり歩いた方がしっかりした道ができると、私は想います。

毎日、こどもと絵本を読む、そんな時間を持てると幸せよね。
ほんと、いい本の抑揚は、読んでいても聞いていても心地よいもの。

しかし、私が立派?
いやー、どうかなぁ・・・。
まだまだ迷い多き子羊・・・いや、大羊・・・おさる・・・・・・。

きちんと生活してる、というのは、そう思うけどね。
最近は酒も飲まなきゃ、早寝の日も多くて、本当に清く正しい毎日だしさ。
自堕落にしたくとも、子ども達が許してくれないし。
それにさぁ、かつてのように、ワルさする時間ないんだもん!(笑)

まだまだ人生はこれからだからね。
どれだけ楽しめるか、それだけが私の目標です。
楽しまにゃ損だよ♪
うひひ!
by mamaru (2007-03-20 21:44) 

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