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スケルツォ第2番(ショパン) [ショパン]

まあ、別のブログで、ちょっとこの曲のことが書いてあったので、
その曲について書こうと思う。
今日の音楽日記は、ショパン作曲のスケルツォ第2番である。
(しかし、本当にこの音楽日記は、安易な曲選びだなあ・・・)
(それに第3番のスケルツォの音楽日記を書いたばっかりなのに・・・)

ショパンは、スケルツォを四曲作曲している。
(ちなみに、スケルツォというのは、冗談や滑稽さを表す、速い三拍子の曲です。)

私のショパンのスケルツォのイメージとしては、
 第1番・・・嵐のようなスケルツォ。劇的でいいなあ。
 第3番・・・コラール風な第2主題。かっこいいコーダ。4曲中、一番のお気に入り
 第4番・・・いちばんスケルツォらしい曲だなあ。なかなか楽しい。

さてさて、第2番のスケルッオのイメージというと・・・

これが、この曲を初めて聴いた時の解説が
トラウマ(まあそんなに大げさなものでもないのですが)となって、
ちょっと微妙なのである。(いえいえ、もちろん曲としては、すばらしいですよ。)

私が初めて、この曲を聴いたのは、アシュケナージのレコードで、
演奏自体は、すばらしいものだった記憶がある。
しかし
この第2番の音楽の解説には、たいてい下記のような文章が書かれている。

「ショパンのスケルッオはどれも深刻な内容が含まれている。
 この第2番の最初の部分は、なにをなすべきかの質問と苦悩であり、
 最後で、その質問の答えは、見つかり、人生の疑問はなくなる。」

まあ、非常にいいかげんに書いたが、
たいていの解説には、こんなことが書いてあるはずである。

実は、私がひっかかるのが、この内容なのである。
この曲に対する解説として、ショパン自身が言ったのか、
評論家が言ったのか、わからないけども、
どうも私のこの曲のイメージと合わないのである。

これが、ベートーベンの後期の弦楽四重奏曲あたりの解説であるならば、
なるほどと思って素直に同化できる。
このスケルツォ第2番の冒頭をベートーベンのハンマークラヴィアソナタみたいに
弾くのもちょっとなあ、と思ってしまうのである。

実は、私のこの曲のイメージは、
冗談や滑稽さが入り交じった、
子供が遊ぶような、
時々、ひとりぼっちになったり
妖怪スカルボが出てきてびっくり
でも最後は、みんなで仲良く遊んでる。
みたいなそんなイメージなのである。
(どちらかというと、純粋なスケルツォのイメージですね)

だから、冒頭の部分も深刻ではなく、三連符を軽く速く弾いて、
オクターブのフォルテは、びっくり みたいなイメージだし、
最後のピュモッソの部分も、「これが人生の答えだ!」みたいに深刻には、ならず、
「みんなで一緒に仲良く遊ぼう」みたいな感じなのです。

まあ、自分の解釈やイメージに自信を持てれば、
どう考えてもいいと思うのだけど、
やはり、ちょっと、考えてしまう。

ということで、この曲を聴く度に、頭の中で、
一般的な解釈?と私の勝手でいいかげんな解釈?が葛藤するのである。

あーあ、なんとかならないものかなあ。

ちなみに、私が最近よく聴く演奏は、プレトニョフがカーネギーホールで弾いた
ライブ盤のCDの演奏である。
(しかし、これって全然、私のイメージとは合わない演奏なのですが・・・(笑))


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