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映画「ドン・ジョヴァンニ」-Ruggero Raimondi Mensch und Maske- [Ankenbrand著RR仮面の人]

ロージー監督の映画「ドン・ジョヴァンニ」は、私がオペラに興味を持つようになった原点です。この映画をきっかけに「オペラ」の世界に足を踏み入れた人達は世界中にいるようです。
J.M.Ankenbrand著"Ruggero Raimondi Mensch und Maske"から"Don Givanni film"の章をご紹介します。
ブログには抜粋で掲載しますが、全文お読みになりたい場合は、左の写真をクリックして下さい。
ドイツ語を訳して下さったのは、オペラ好きの知人です。この本の著者は、かなり皮肉っぽいところもあって、なかなか面白いと思います。ミュンヘン人の特徴でしょうか?

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 人類は視覚の時代に生きている。映画やテレビはマスメディア、つまり、大衆の大量情報伝達手段である。一方、オペラはいまだに少数を対象とする芸術形態だ。オペラ・スターの知名度もやはり映画やテレビ界の中程度のスターほどでさえない。こういうマイナス面を排除しようとするなら、オペラ歌手も、外見がすばらしく、演技力があり、個性的な魅力を発散していれば、必然的に、映画に興味を持つことになるのは 当然のことだ。

 今や、ルッジェーロ・ライモンディは「世間を賑わせる」有名人になった。それに、なにしろ彼は背が高く、フリードリッヒ大王なら必ずや大喜びするほどの理想的な体型をしている。*訳者註

 オペラ歌手の映画出演は、目新しいことではない。およそ50年にわたって、ジーリ、チェボターリ、シェピ、ドミンゴなどで、あらゆる種類のオペラ映画や音楽映画が撮られた。オペラやオペレッタの曲を用いた音楽映画を制作する際、俳優に演技をさせ、予め録音するというやり方で、歌手に歌わせた。例外はあったが、平均的な出来栄えは音楽的期待に添わないことが多かった。オペラの舞台を撮影したもの(フルトヴェングラー指揮のドン・ジョヴァンニ、主演、シェピ)、スタジオで制作したもの(ラ・トラヴィアータ)、物語の本来の場所で撮影したもの(トスカ)などがある。スウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンは、ほとんど知られていない歌手で、マスコミと観客を感動させ、賞賛される芸術映画(魔笛)を創り上げた。

 ライモンディのドン・ジョヴァンニは世間の評判だった。この役によって彼が映画のスクリーン上で不朽のものになることほど、当たり前のことが何かあるだろうか。リーバーマンの発案によって、ロージーの下で、1978年にひとつの新しい映画が生まれた。
ー略ー
 レンネルトによる、ライモンディのドン・ジョヴァンニは、生きる喜びにあふれた人、悪魔的でありながら、同時に思いやりに満ちた、わきたつような喜びにあふれたバロック的人間だった。ロージーのは、悪魔に取り憑かれたような雰囲気と冷笑的な態度が支配的だ。

 モーツァルトのオペラにおけるレチタティーヴォは、これによって物語が進行するので、非常に重要だ。1983年、ジュネーヴでの、フィガロの伯爵に際して、ルッジェーロ・ライモンディはこの話すように歌うこと(Sprechgesaenge)について意見を述べた。彼のこの問題に関する認識は、1978年にはすでに、その兆しがみられた。すなわち、彼はレチタティーヴォをしっかりとつかむように、あらゆる意味で演劇的に、鋭い切れ味で、そして、とりわけ歌詞がはっきりと聞き取れるように「歌った」。腹を立てた召使いが主人のもとを去ろうとするときの、ジョヴァンニとレポッレッロの、"eh via buffone, non mi seccar....no, no, patrone, non vo restar ...."(行くがいいさ、馬鹿者め、俺を怒らせるな。--- はい、ご主人さま、ここにはもういません・・)という、ちょっとした言い争いが好例かもしれない。
ー略ー
 再びブロッホの言葉を借りよう。彼はドン・ジョヴァンニを、肉欲の悪魔と呼んだ。ロージーの映画で、この役のルッジェーロ・ライモンディを見れば、これ以上よい呼び方はないと思うだろう。
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*訳者註:
ein Gardemass という語がここでは用いられています。この語の語源がおもしろいので、ご紹介します。 歴史的に見ると,この単語は、プロイセンのフリードリヒ大王と、その父親、フリードリヒ・ヴィルヘルム一世に関係があるのではないかということです。「身長が180以上の男たちを集め、従わない者には制裁を加えた」という話や、「身長2mを超える兵士が大好きで、そんな兵士を近衛兵にする・・・。」という話があるそうです。近衛兵(Garde) + 寸法(Mass) で、もともと昔の「近衛兵」の身長(180cm以上)を表す尺(Mass)として成立した単語だと考えられるということです。そして、時代と共に、意味が広がり、「高身長の男性」一般を指すようになり、さらに、現代では、例えば、「他人から尊敬されるためにはGardemassを持たなくても良い」とか、「理想の相手の条件はGardemassを持っていることだ」あるいは「望まれる理想のGardemassを手に入れるために是非美容整形を!」などといった例が、インターネット上で見つかるように、おそらく、もはや「高身長」という狭い枠組みから逸脱し、一般に「理想の体型」という意味になったと思われます。その証拠に、「Gardemass von 180cm」と並んで、「Gardemass von 150」といった記述も見られます。
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※日本版は、同じものとは思えないほど画質が悪いので、ぜひ、米国版でご覧になって頂きたいものです。美術作品のように美しい映画です。
※関連記事:2005-10-10《ドン・ジョヴァンニ歌手の「ドン・ジョヴァンニ」観》


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ヴァラリン

身辺ではなんだか《ドン・ジョヴァンニブーム》っぽい気がしなくもないような…ということで(この作品がどちらかというと苦手な)私の苦肉の策で、あれこれまとめたお話をUPしました。
keyakiさんのお宅の記事、いっぱいリンクさせて頂いたので、まとめてこちらでご報告しておきますネ。
RR氏の《ジョヴァンニ感》とっても興味深かったです。
ダレカさんもいずれ…と思っているそうですので、こういうことを一緒に考えながら、ちょっとずつ克服できるといいな…と思います。
(ホントは結構困ってます^^;エスカミーリョほどではないんですけどネ…)

>日本版は、同じものとは思えないほど画質が悪いので、ぜひ、米国版でご覧になって頂きたいものです。

そうなんですか。私が見たのは日本版なので、だから今一つ没入できないのかもしれません(^^; 今度レンタルしてみますネ。
by ヴァラリン (2005-10-20 06:01) 

keyaki

この映画は、ヨーロッパでは、まだ時々、イヴェント等で上映されているようです。

ドン・ジョヴァンニを歌う歌手はいっぱいいいますが、ドン・ジョヴァンニに見える歌手はなかなかいませんね。好みの問題は置いておくとして、ライモンディは、ドン・ジョヴァンニに見えます。不思議なことに、なぜか日本の音楽ジャーナリストといわれる面々は無視したがりますが、オペラの本場では、評価されているわけですよ。

日本版、ロージー監督が見たらショックを受けると思いますよ。
彼によれば、「マザッチョ作品の色彩を念頭に置いて、衣装をできるだけくすんだ落ち着きのある色合いにしようと意図した。屋外の光線の参考にしたのがジョルジオーネの絵だった。」こんなの台無しになってます。
海外でDVD化された時に、買って、あまりの美しさに呆然としました。衣裳の切り替えの部分のトリミングとか、布の質感とか細かいところもはっきりわかりますし、なにより、パッラーディオの建物と景色の美しいこと。

こちらからもTBさせて頂きますね。
by keyaki (2005-10-20 10:42) 

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